BONSAI

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tsubaki.jpg「盆栽=老齢」というイメージはなかなか拭えません。

 

幼い頃観ていたサザエさんでいう波平さんの趣味?だったと思うし、藤子不二雄マンガの主人公が野球ボールを取りに行く先は庭に盆栽のある怒りっぽい爺さん家だったような気もします。

 

しかしそんな先入観のない外国人の方なんかは、そのディテールの美しさに感動されるとか。

 

会社の近くの長崎市民会館に、「盆栽椿愛好会展示会」という大きなハチマキが掛けてあるのは昨日通りすがりに気づいていたんですが、その時まさか自分が入ってみることになるとは想像すらしていませんでした。

 

それがなぜiPhoneで写真までおさめることになったかといえば、ボクが最近Twitterを始めていて、著名なディレクターの原研哉氏が「盆栽」のデザインとしての素晴らしさを熱くつぶやかれるものだから、「あ、このタイミングは一応見ておけと神様が言っているのかな。」と思い、本日撮影の帰りに潜入したのでした。

 

長崎の椿愛好会なる団体なので盆栽は椿に限られていたのですが、なるほど手をかけ暇をかけ完成された風が伺えました。空間に根ざす芸術といえば建築から何から殆どのものがそうなのかもしれませんが、自然の力と共生しているので、やはり華道に通ずるのでしょう。

 

しかし華道と違って長い年月をかけたと思しき作品のなかには破格値で売られているものもあり、おそらくなにか盆栽道(?)でいう致命的な欠陥があるのかもしれないのだけれど、ここまで立派だと「自宅にあっても格好良いのでは」などと考え始める始末。

 

写真は知事さんや市長さんから賞が贈られたもの。

 

見つめていて「このあたりが好きだ」なんて交わしている愛好家の方をみると、なるほどなあ、これは完全なデザインとしてのフォルムの追求と、ペットを可愛がるような生物への純粋な気持ちの融合であるから、とても素晴らしいカテゴリーなんだと認識を改めることになりました。

 

係の爺さんに(ご想像通りスタッフは全員高齢・・)盆栽のことを何かしら訪ねようと思ったら、爺さんの激しい痰吐きが収まらず、待っていてもしょうがない気がしてきたので仕事へ向かいました。

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日頃からお世話になっている車屋さんが時津町で移転独立されました。

写真は商品のなかの一台です。

 

看板を写真におさめているときに撮影を勧められたのが、「ハコスカ」と呼ばれる、ボクと同い年齢らしい日産スカイラインです。

日産プリンスとなって最初のモデルの後期タイプだそうですが、車にはあまり詳しくないのでそれ以上の説明ができません。

 

詳しくないから車が嫌いなのかといわれるとそうではなくて、世の男子レベルには、普通に好きじゃないかなと思っています。

 

ただボクが大学生の頃は、「走り屋」と呼ばれるもちろん「暴走族」とは一線を画す同級生も多く、「バイトして金貯めて車いじって」、ということを女子そっちのけで、至福の表情で平然と行うホントのクルマ好き達を知っているので、ボク程度で「クルマが好き」というのが憚られるだけのことなのですが。

 

ところでこの時期のスカイラインという車はいまだに人気があり高価らしく、移転して間も無く看板も上がっていないのに、どこで聴きつけたか見にこられる方がいるとか。

 

ボクは車に関しても、未来的な流線型より、無骨でイビツな方に愛着が沸きます。

 

つまり、最近の車の中で探すとあきらかに選択肢が少なくなってきているために、10年前と気になる車が同じという寂しいことに。ランチアって実際修理代どれくらい嵩むのかな、とか、ゲレンデはブームが去って前より下がってるのかなあ、とか思うわけです。

 

そんな無骨車ばかり飼うものだから、急な雨に全開の電動サンルーフが閉まらなくなって、そのまま車屋さんに運転して行って廃車宣告を受けたり(SAAB)、ゴルフ場に向かっている途中、リアガラスが経年劣化でガシャーン!と落ちたり(BUICK)、ときにはそんなこともありました。

 

現在は「空飛ぶレンガ」系ですが、もう良い年齢ですから、環境に配慮した「良い」車に乗らないといけないのかもしれないですね・・・。

 

 

 

 

DOOSANARTCENTER.JPG近いのに訪れたことのなかったお隣り韓国はソウルへ。

 

仕事の関係なので2日間の強行日程でしたが、せっかくなので無理やりにスケジュールを押し込んできました。

 

鍋と焼肉と韓定食、世界遺産を強引に訪ねて韓国コスメを手土産に戻るという、まあ最近の大学生でもやらない旅となったわけですが、それなりに楽しめました。

 

成田羽田問題で揺れる日本とは裏腹に、仁川国際空港にはやられた!という感じだったし、若者のエネルギーも正直日本より感じました。サッカー韓国代表しかしらないボクにとっては、イメージのキャンセルができたかもしれません。

 

世界遺産の「宗廊」も好きな建物でした。シンプルの極みかもしれませんね。

ヘンリー・D・ソローを引き合いに出さずとも、シンプルなデザインと言うのは求めるべきものでありながらも、最も難しいとされることがあります。

 

冬の空気と濁った空に刺さる枯れ枝や、屋根の残り雪の気配、自然と調和した見事な出で立ちは、立ちすくんだまま身体を李朝期に引っ張ってくれるようでした。

これが大都会の真ん中に位置していることを不思議というよりは、「多くの人々が理性を持ち、時代を経て生きている」ということを素直に感じずにはいられません(2年前に南大門が放火で焼失したので、これからはどうなるか解りませんが)。

 

ところで李朝期といえば白磁や家具などはシンプルで質の高いデザインとして現在でも愛されていますが、ボクにとってはなかなか手の届かない、というよりお目にかかることのないものだっただけに、もともと接点がありませんでした。

一年ほど前に収集家の方からコレクションを見せて頂く機会があって、なるほど見事なものだとうっとりしたわけです。

 

 

ゴルフ場が良いとは聞かないのでいつまた訪れるかはわかりませんが、こうして旅先で動きまわるのもたまには良いものだ思い出させてくれました。

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最近買った万年筆用インク。

 

PILOTの「色雫(iroshizukuシリーズ」、色は<霧雨(kiri-same>です。

ボトルやパッケージのデザインとネーミングが洒落ていて、つい衝動買いしてしまいました。

 

しかし万年筆なんて年に何回も握らないどころか、ここまで文字を書く機会が減ってくると漢字は忘れがちだし、あれれ‥とペンも走らず、正式な文書や大切な方への手紙など、手書きでは本当にきつい状態に。

 

そうして契約書とかスケジュールとかメモのとき以外はペンを持たないようになり、それすらも自分が解読できれば良いというレベルに終始してしまっています。

 

だからといって「パソコンの普及による漢字文化の終焉」だとかいう話には全く興味がなくて、そんなことの良し悪しや是非を語るつもりも全くありません。

 

 

父親の先輩で昔から海外にお住まいのSさんという方がいて、その方から以前頂戴した何通かの手紙を今でも大切に持っています。

といえば、普通は自分にとって大切な事が書いてあったり、頼りにする人生訓みたいなものを時おり読み返すような手紙かと思われるでしょうけれど、ボクが保管しているのは実はそんな理由ではないのです。

 

Sさんは決して字が上手いわけではないのですが、本人独自の筆文字を大小書き連ね、便箋の一枚一枚が作品のように見えるのです。バランスが絶妙に取れており、ご本人のお顔も浮かぶ、実に味のあるデザインとしての文章を魅せます。(さすがに文面はお見せできませんが‥)

 

思えば「書」に代表されるような芸術品をはじめとして、文字というのは絵画などとある意味同様にビジュアル要素を多分に擁しています。デザインの主要な分野としてのタイポグラフィは、アーティスティックなものから実用的なものまであらゆる効果を発揮しますから、文章の内容は言うまでもなく、どんな書体でどのように配されているかも本当に大事。

 

この<霧雨(kiri-same)>は、硯を溶かしきれていないような薄い黒色のインクで、書き出しや「トメ」の箇所が濃くなる、いかにも「味の出そうな」モノ。

ボクの衝動買いのイケないところは、それを手に入れたらSさんのような手紙が書けるのでは、と勘違いするところにあるのですが・・・。

 

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写真は連休中、夜の長崎空港。

 

長崎の空港は箕島という大村湾の島を利用した、世界初の海上空港です。

 

とはいえ開港35年を数える空港ビルはお世辞にもキレイとはいえず、かといって「味のある」雰囲気だとはお世辞にもいえません。ただしその地味でモタついたデザインは次回建て替えの機会が来ればそれなりに洗練されるので良いでしょうし、深夜に出没する狸の軍団が有名な、ほとんど羽田線でしか利用されない地方空港としての独特の「におい」を感じるなら、実になんとも言えない感じに仕上がってきています(実際昔からヘンなにおいがする)。

 

全国各地の空港が抱える赤字が問題になって久しいですが、新幹線も来ていない長崎にとって空港は文字通りの「生命線」。旅行やビジネスのみならず、遠征に行く中高生や、進学した大学生、ショッピングにいくOLさんも、みんなここから。

 

ボクはこの空港が生まれ変わるならば、温かくて気の効いたもてなしを誇る、小さくても品の良いホテルを模したような空港になってくれないかな、と思うのです。ブランディングは服装からサービスの質にまで浸透させて、時間をかけて伝統をつくりあげていく。

 

歴史を大切にする長崎の空港に、流行の<取って付けたような>デザインをして欲しくないな、と思います。

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初詣、諏訪神社へ向かう長坂の階段を上がりながら、これからどの順番で何をするかという風にいちいち考える人はいないかも知れませんが、はじめに柄杓(ひしゃく)で水をすくって手や口を清める人は結構いらっしゃるかもしれません。

 

その「手水舎」の頭上にあった作法書きですが、

勝手に察する時代にして、かなりの良家と思われる家柄のご令嬢が描かれていて、

違和感があるかといわれるとそうでもないのだけれど、どこか面白い。

スカートのふくらみ具合か、ヘアスタイルか、ハイソックスか・・・

 

実際に柄杓を手に取ると、柄にはすべて地元企業の社名が焼印されていました。

ふと考えれば、古くから神社やお寺というのは「広告」という行為が「寄贈」や「寄付」という名で摺りかえられていて、庭にあるベンチや石にはじまり神殿に捧げられたお酒にだって、社名や個人名が広告されています。協賛する企業や個人にしてみれば、世に自らの信用性や信頼性を売る格好の場所であったわけです。

 

でも、真清水の神秘的な霊力でこれから身を清めようとするときに、いざ企業名が目にはいるとあまり良い気分はしないかもしれません。広告としては目立っていて良いのでしょうけれど、好印象を残さなければ逆効果になる危険性もあります。

 

そんなことをぼんやり考えながらひいたおみくじは、最高の結果に!

今年は何か、新しいことを始めてみよう!!

と、例年通り誓うのでした・・・。

 

あけましておめでとうございます。

年末のブログ更新は余裕がなく叶わず、あっというまに正月になってしまいました。

公私共に旧年中にお世話になった皆さま、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

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昨日ボリビアのエケコ様という神様が長崎アミュプラザからウチへ買われてきました。

 

このエケコ様、小さくて可愛らしいのですが、肌は褐色だし、タバコも咥えられません。

(本来は白色の肌をしていて、タバコを咥えさせて完成形になるそうで。)

 

若い頃はこういうラッキーアイテムにまったくといっていいほど関心がなかったのですが、

最近は、まあいいんじゃない?的な感じになりつつあります。

 

特に南米モノやアフリカモノに関しては、いまだに呪術とかやっていそうで、なんか楽しくもあります。

ケニア土産でもらった青磁のネコのお化けみたいなヤツとか、木を削って作ったチリ製の球形豚なんかも、

意外とイイ感じで自宅に鎮座しています。

 

ふと考えると、全く興味のなかったボクのまわりにも、いつのまにか"神様グッズ"があることに気づきます。

 

クロスのペンダントやロザリオ、インディアンターコイズ石のリングなんかは若かりし頃の遺産としても、手首にはタイの寺院で僧侶に巻いてもらった紐が巻かれているし、リビングには江戸時代の小さなフクロウの染め絵があったりします。

もちろん諏訪神社のお守りもあれば、京都の寺社から送ってもらっている別のお守りもあります。

 

こう書いているうちに、なんとも脈略のない神様環境?の中で生活している事実に驚きますが、日本人のみんなはきっと似たようなものだろうと思うのです。

 

昔には半年間カトリック教会に通ったこともありましたし(タダでホームステイするという気合だけで)、運転中に動物の死に絶えた姿を発見すると手を合わせればいいのか十字を切ればいいのか一瞬迷ったりします。

 

いろんな神様に守られていると思うと、楽しい暮らしだなあ、と可笑しくなってきます。

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仕事の関係で、長崎のキリスト教について勉強しています。

 

日曜日の今日は、ド・ロ神父で有名な外海地区黒崎でお祭りがあっているというので、ちょっとお邪魔してきました。

 

ところで長崎県では25人にひとりがカトリック信徒で、全国の信者数の15%ほどを占めるというから、これはもう「カステラ・ちゃんぽん・カトリック」と言って良いほどの突出した特徴なわけです。

 

それに加えて、大浦天主堂は国宝第一号だし、浦上天主堂には日本で一番偉い人(表現が適切でない場合はご勘弁を)が座る椅子なんぞがございまして、なるほど世界遺産への登録を申請しているだけのことはあるものだと、地元でありながらいまさら感心する始末。

 

写真は1882年にド・ロ神父がポケットマネーで建立した外海で最初の教会堂、「出津教会堂」です。

 

ド・ロ神父という人は、28歳という若さで、この東の果ての島国の、そのまた西の果ての長崎にやってきて、そのまた田舎の外海に移っただけでも 「?」 がつきますが、ポケットマネーでこんな質実剛健な教会堂を私財で、しかも自分で建てるという 「??」 ぶり。

 

しかも大浦天主堂で石版印刷所を開設、学校を創設、パン工場・マカロニ工場・製粉工場・鰯網工場・保育所をつくったばかりか、茶園や防波堤もつくったという天才ぶり。

腸チフスが流行ると薬局をつくり、青年救護隊を編成するという、スーパーマルチ宣教師だったのです。

ふつう何かをつくるというと、出資したとか、編成したとかいう程度ですが、この人は自分で設計・施工するという、どうも信じられないようなすごい技術を28歳という若さでマスターしていたということになります。

 

こんなすごかったフランス人、もっと有名でもいいのになあ・・・。

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前日に決まったボクの大阪出張の目玉は、北区中ノ島の中央公会堂にありました。

この日本有数の公会堂建築は1913年に着工した重要文化財で、ネオルネッサンスとバロックの融合した、以前から興味のあった建物。

中に入れる時間ではなかったのがザンネンです。

カメラも iphone だったし・・・。

 

これまで大阪にはなぜか縁がなかったのですが、ボクの勝手な「汚い」イメージは一新されました。

大阪って、本当キレイな街だったんです!

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温泉宿や旅館に行くと、仕事だろうが旅行だろうが、マッサージさんを呼ぶ癖があります。

食事や宴会で少し酔ってからになるので、だいたい40分6,000円くらいの一番短いものを選ばざるをえないのですが、いつの頃からかそんな短い間にも途中で寝てしまうようになり、本当にマッサージが効いているのかわからなくなりました。


ホテルや旅館ならフロント、温泉宿なら仲居さんに直接頼んで指圧師の方がきてくれるあいだの時間、急いで風呂に入ったり、部屋から出る時間はないのでテレビをつけてみたり、なんとなく落ち着かないものですね。

自分が呼んだ指圧師の方とはいえ、初対面の方への緊張というのもあるかもしれません。
広島で呼んだときは、巨人軍の篠塚コーチがお客さんで監督時代の長嶋茂雄さんを担当していたという方(ホントか?)だったり、阿蘇では予約の時間が遅れて町の指圧師さんが出払っており、やっと来てくれたと思ったら、その昔志村けんがドリフで扮していた老婆なみに耳の遠い方がきて背中をさわさわと撫でていったり。


しかし思いがけず、力加減といい、自分だけが知っているツボへの的確さといい、そのあたりが絶妙な方にお会いするとそれはもう幸せです。

写真は新しく稲佐山にできた高級ホテルの、客室マッサージの案内状です。
プライベートを重んじた客室や品のあるレセプションに置くためのものとして、
マッサージを担当されている「りらく庵」様にデザインを依頼されましたが、

1.マッサージということがすぐにわかって
2.人目を引いて
3.ホテルのイメージを崩さない範囲で
4.ヨーロッパの70~80年代ポップデザインを取り入れた
5.手にとって質感があり、ぞんざいに扱われにくいもの

という条件をいただきました。

実際にはこのように具体的にはいただいていないので、多分にボクの思い込みも入っているでしょうけれど??
ふつう、ホテルの客室にはサービスの説明書のようなファイルが置いてあって、その中の1ページがマッサージ案内になっていますから、それ以外に何がしかの案内を出すことはしません。
それなのにこちらでは、お客様はあくまでホテルでの時間を楽しむ宿泊客であることをきちんと認識していて、そのうえで気分良くもっと楽しんでいただくためのスペックを、なんとか上手に演出できないかと工夫されているのです。


なんだか、こういうまっすぐなサービス精神って、今後のスタンダードになりそうな気がします・・・。