長崎の映画館は東京なんかでは考えられないくらいいつも空いていて、本当それだけで嬉しくなります。だって、「空いている」ということは、シートも痛まないし、チケットカウンターやフロアカーペットやトイレなんかも、いつまでも綺麗なんですよね。
ところで、ソダーバーグの描くチェ・ゲバラ、「チェ 39歳 別れの手紙」を観ました(映画が映画とはいえ、やっぱ観客10名いませんでした...)。
スティーヴン・ソダーバーグは、映画監督として「エリン・ブロコビッチ」や「オーシャンズ11」を世に出した、といえばわかりやすいでしょうか。
ボクが彼の名前を知ったのは「セックスと嘘とビデオテープ」。
大学生の当時姉が紹介してくれた映画で、脚本から編集まですべてをやった、と説明を受けたことを思い出します。
話がそれますが、これは良い映画でした。
題材はある夫婦と二人の至極狭い周囲の関係の中でのごちゃごちゃだったような気がしますが、登場人物の精神的な葛藤の入り乱れを上手に撮る一方で、そういった関係や出来事を妙に客観的に感じさせてくれるのです。
観終わったあとに残るのは、決して登場人物にすり替えた自分の感情ではなく、そういった事象そのものをこだわりなく認識する自分です。
さて、この映画は「チェ 28歳の革命」と2部作になっていますが、こちらはまだ観てません。
「チェ 39歳 別れの手紙」を観たかったのは、キューバで革命を成功させたときの話でなく、ボリビアで志半ばにして逝ってしまった彼の、生き様ではない、その<逝き様>をどのように表現しているのかに興味があったからです。
映像に関しては、始めはカメラ回しがドキュメントタッチっぽいのかな?と思わせて、そうでもなくなる。
中途半端になりますが、そのほうが観やすいのかもしれません。で、最後にまた似たような手法を使っています。そういえばいつもこんな感じかも。
で、感想としては、個人的に満足したというか、良かったです。
彼の死、ひいては彼の人生に、観る側に特別な意味を強要しなかったのです。
革命家の代名詞、チェ・ゲバラを扱うにあたって、彼に思い入れある世の多くの男子は思い切り美化したいものです。ソダーバーグにもそれは大きな思い入れがあったに違いありません。しかも「死」は人間にとって大きなテーマのひとつでもあります。特に、常に死と隣り合わせに生きてきた人間のリアルな死。
カストロと共にキューバ革命を成し遂げた英雄の死は、突然に、且つ、ごく自然に描かれていました。格好よくも、格好悪くもない。
何年もほったらかしにされた妻と5人の子供たちも出てこない。
共に戦った同志たちも出てこない。
壮大な目的のその後も描かれない。
死を受け入れる者と、死を与える者だけの世界。
死とは「突然かつ自然なもの」なのだと、気づかされるのです。
そのとき、チェが特別な存在からすごく身近な存在になります。
映画監督が作品に込めるメッセージ。ボクなりの、ですが???
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