2009年11月アーカイブ

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温泉宿や旅館に行くと、仕事だろうが旅行だろうが、マッサージさんを呼ぶ癖があります。

食事や宴会で少し酔ってからになるので、だいたい40分6,000円くらいの一番短いものを選ばざるをえないのですが、いつの頃からかそんな短い間にも途中で寝てしまうようになり、本当にマッサージが効いているのかわからなくなりました。


ホテルや旅館ならフロント、温泉宿なら仲居さんに直接頼んで指圧師の方がきてくれるあいだの時間、急いで風呂に入ったり、部屋から出る時間はないのでテレビをつけてみたり、なんとなく落ち着かないものですね。

自分が呼んだ指圧師の方とはいえ、初対面の方への緊張というのもあるかもしれません。
広島で呼んだときは、巨人軍の篠塚コーチがお客さんで監督時代の長嶋茂雄さんを担当していたという方(ホントか?)だったり、阿蘇では予約の時間が遅れて町の指圧師さんが出払っており、やっと来てくれたと思ったら、その昔志村けんがドリフで扮していた老婆なみに耳の遠い方がきて背中をさわさわと撫でていったり。


しかし思いがけず、力加減といい、自分だけが知っているツボへの的確さといい、そのあたりが絶妙な方にお会いするとそれはもう幸せです。

写真は新しく稲佐山にできた高級ホテルの、客室マッサージの案内状です。
プライベートを重んじた客室や品のあるレセプションに置くためのものとして、
マッサージを担当されている「りらく庵」様にデザインを依頼されましたが、

1.マッサージということがすぐにわかって
2.人目を引いて
3.ホテルのイメージを崩さない範囲で
4.ヨーロッパの70~80年代ポップデザインを取り入れた
5.手にとって質感があり、ぞんざいに扱われにくいもの

という条件をいただきました。

実際にはこのように具体的にはいただいていないので、多分にボクの思い込みも入っているでしょうけれど??
ふつう、ホテルの客室にはサービスの説明書のようなファイルが置いてあって、その中の1ページがマッサージ案内になっていますから、それ以外に何がしかの案内を出すことはしません。
それなのにこちらでは、お客様はあくまでホテルでの時間を楽しむ宿泊客であることをきちんと認識していて、そのうえで気分良くもっと楽しんでいただくためのスペックを、なんとか上手に演出できないかと工夫されているのです。


なんだか、こういうまっすぐなサービス精神って、今後のスタンダードになりそうな気がします・・・。

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春からのお付き合いのT社長が、とうとう事務所に遊びに来てくれました。

 

いただいた差し入れがベストウエスタンプレミアホテルのケーキ。

 

ところでケーキを箱に詰めるお店の人って、色彩のバランスを考えながら、

開けたときに一番輝くようにするのかなあ、とか考えながら早速いただきました。

ボクは昔から甘いものが好きだし、スタッフはボク以外女性なので嬉しい限りです。

 

若いT社長、かなり仕事熱心な好青年で(ケーキくれたからではありません)面白い性格ときており、

話していてホント楽しいです。

 

会社は若い女性向けにデザインされたブラックフォーマルを自社で企画・製作・販売されており、

全国で大人気というウラヤマシさ・・・。

今後の顧客サービスについて大いに語って帰られました。

 

確かに男性はブラックスーツにブラックタイですからカタチがきまってきますが、

女性の場合はそうはいきません。

 

若い方でもお葬式に出る機会はあるし、大勢が集う哀しみの席だからこそ、きちんとお洒落をしたいというのもわかります。

 

商品も良くて価格も良心的なので、女性の方なら、 ニナーズ さん覗いてみてくださいね(^^)

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そういえば以前、今年で35歳になる税理士事務所のMさんと、

「年寄りの友人と遊ぶのは楽しい」という気持ちを共有したことがあります。

 

このときの「年寄り」というのは例えばボクたちの父親の年代を比較的に表現した言葉であって、「友人」というのは親しみと尊敬の念を込めた言葉ということで納得いただければと思いますが。

 

Mさんはもっぱらその「友人」と釣りに行かれるそうですが、ボクの場合はゴルフ。

 

まあ、ゴルフに行かなくても、昼間にお逢いして話をするだけでも楽しいのですが、

決して語ることはしない確かな人生経験をバックに上手な冗談を浴びせられることの楽しさは、

本当に心地いいです。もちろん、現在進行形のビジネスの話も面白いです。ゴルフの話、

仲間の話・・・数少ない言葉でもすべてわかっていてくれるような安心感があるからでしょうか。

 

写真はボクにとってそんな大切な「年寄り友人」のひとりである、T社長の会社案内です。

 

還暦を超えてもなお、義理と人情で動きながら、普段はひょうひょうとしており、

愛嬌のある人気者(失礼?な表現はたぶん読まれないだろから気にしません)。

 

タカラ保温さんは建設業界で専門工事を行っていて、「職人集団」といったほうがいいかもしれません。

 

会社案内制作の発端は、「忙しかね?」「イヤ、全然ですよう~。」といったただの挨拶から。

条件は、「写真なし」「低価格」「恥ずかしくないもの」「好印象」・・・「ま、何でもいいけど」。

 

それは明らかな義理でも人情でもなんでも、せっかくおっしゃってくれたなら、ムダなものは作れません。

なんとか役に立つものを、と考えました。

 

こういった場合必要部数が少ないため低価格を実現するのが難しいのですが、冊子でなく折りにして、

墨一色の刷りにして、デザインで勝負、ということをやってみました。

 

年度ごとに変更の可能性のある会社概要は、透過性のあるトレーシングペーパーにして挿し込み、

その辺の工事屋さんとは違うよ!とちょっとだけ言わせてみたのです。

 

コンセプトは環境を守る会社。

省エネに寄与するサービスは、未来を支えているということで、用紙も再生紙を使っています。

 

またゴルフ行きましょう!今度、名刺も持っていきますね~(読んでないか!?)

 

THIS IS IT

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昨夜はココウォークのTOHOシネマズでレイトショー。

先週、高校時代からの親友からちょうど観に行こうと決めていた「THIS IS IT」に誘われていて、
20時までに仕事を済ませました。

映画は幻となったロンドン公演のリハを綴ったドキュメントですが、素晴らしかったです。
ちょっとだけでもマイケルを好きな方は、観て心地よい感動をもらえると思います。

彼が天才であり、努力家であり、繊細な心をもった愛すべき男であったことを、
脚色もなくドラマもなく、真実のうちに知ることができます。

 

1970年代から2000年までのポップアイコンであるマイケル、
姉の影響で洋楽ばかり聴いていたボクにとって、やっぱり特別な存在でした。

80年代前半の長崎にはミュージックビデオを観る機会がほとんどなくて、
浜町のDCブランドが入っていたパトリエ21ビルがスポンサードしていた(と記憶?)
深夜番組「プロモーション・パフォーマンス」を楽しみにするしかなく、
あとはWHAM!が出演するSONYのTVCMやトンプソン・ツインズ出演のマクセルのTVCMを待つくらい。

とはいえ「プロモーション・パフォーマンス」という番組は、TOP10形式でPVを流しまくるので、
もう毎週ドキドキしながらテレビにかぶりついていたのです。


ナビゲーターのお姉さんがインゲボルグやピンクハウスなんかのいかにも「着せられた」服を着て、愛想も下手な感じに曲紹介やリクエストはがきの棒読みをしていたことを思い出すと、今でも可笑しくなるのですが。

MTVによる20世紀のミュージックビデオベスト1位に選ばれたマイケルの「スリラー」には、
「こんな格好よさがあるんだ!」と衝撃を受けましたが、
衝撃といえば当時デッド・オア・アライヴの「You Spin Me Round」のPVの方がどちらかといえば強烈?であったため、「スリラー」に対する思い入れがほかのファンに比べて薄いかもしれません。

黒光りしたSM服に眼帯をつけたピート・バーンズというキレたおっさんの、股下に渡した鎖を前後にしごくパフォーマンスから、
そのイモっぽいナビゲーターのお姉さんに映像を戻す「異種感」がなにせ絶妙だったんです。

 

ともあれ、マイケルのアルバムは当然すべて購入しながら生きてきました。
ジャクソン5時代も大好きなので、マライヤがカバーしたときはスゴイ嫌でした・・・。
デッド・オア・アライヴをフロー・ライダーがカバーしたのは嬉しかったですが(しつこい)。

こういうことは結構多くて、自分の音楽趣味的に「え?」という人と繋がってしまっちゃってる大好きなスタアを発見したときの失望感といったら、隠しきれるものではありません。
マイケルで言えば、ヴァン・ヘイレンが「Beat It」に参加したとか、「Black or White」でスラッシュがひいたとか、アッシャーと一緒に歌ったとかは嬉しくても、NBAの選手やナオミとビデオに出たりしないで欲しいなあと。

 

マイケルが死亡した日の朝、彼が心肺停止で病院へ搬送されたニュースが流れましたよね。
遅刻気味のボクは部屋をあさって目ぼしい彼のCDを車に突っ込み、
「Billie Jean」「Man in the Mirror」を聴きながら、おそらく死んだであろうことはわかっていても、変な胸騒ぎを抑えることができませんでした。
東京にいる姉からも、珍しくケータイにメールが入りました。

 

そのとき、世界中のすごい数の人間が今同じ時間にマイケルを想う気持ちでいるんだと感じて、
とても不思議な気持ちになりました。現代にこんな人間がいたんだな、と。

 

ところでボクの誕生日である1971年の10月といえばマイケルのデヴューと重なっていて、
そういったコジツケもやっぱり至極個人的な喜びというものなのだけれど、
ちょっとした喜びなんてのは多いにこしたことはないですよね、人生。 

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