2010年1月アーカイブ

 

 

DOOSANARTCENTER.JPG近いのに訪れたことのなかったお隣り韓国はソウルへ。

 

仕事の関係なので2日間の強行日程でしたが、せっかくなので無理やりにスケジュールを押し込んできました。

 

鍋と焼肉と韓定食、世界遺産を強引に訪ねて韓国コスメを手土産に戻るという、まあ最近の大学生でもやらない旅となったわけですが、それなりに楽しめました。

 

成田羽田問題で揺れる日本とは裏腹に、仁川国際空港にはやられた!という感じだったし、若者のエネルギーも正直日本より感じました。サッカー韓国代表しかしらないボクにとっては、イメージのキャンセルができたかもしれません。

 

世界遺産の「宗廊」も好きな建物でした。シンプルの極みかもしれませんね。

ヘンリー・D・ソローを引き合いに出さずとも、シンプルなデザインと言うのは求めるべきものでありながらも、最も難しいとされることがあります。

 

冬の空気と濁った空に刺さる枯れ枝や、屋根の残り雪の気配、自然と調和した見事な出で立ちは、立ちすくんだまま身体を李朝期に引っ張ってくれるようでした。

これが大都会の真ん中に位置していることを不思議というよりは、「多くの人々が理性を持ち、時代を経て生きている」ということを素直に感じずにはいられません(2年前に南大門が放火で焼失したので、これからはどうなるか解りませんが)。

 

ところで李朝期といえば白磁や家具などはシンプルで質の高いデザインとして現在でも愛されていますが、ボクにとってはなかなか手の届かない、というよりお目にかかることのないものだっただけに、もともと接点がありませんでした。

一年ほど前に収集家の方からコレクションを見せて頂く機会があって、なるほど見事なものだとうっとりしたわけです。

 

 

ゴルフ場が良いとは聞かないのでいつまた訪れるかはわかりませんが、こうして旅先で動きまわるのもたまには良いものだ思い出させてくれました。

kirisame.jpg

最近買った万年筆用インク。

 

PILOTの「色雫(iroshizukuシリーズ」、色は<霧雨(kiri-same>です。

ボトルやパッケージのデザインとネーミングが洒落ていて、つい衝動買いしてしまいました。

 

しかし万年筆なんて年に何回も握らないどころか、ここまで文字を書く機会が減ってくると漢字は忘れがちだし、あれれ‥とペンも走らず、正式な文書や大切な方への手紙など、手書きでは本当にきつい状態に。

 

そうして契約書とかスケジュールとかメモのとき以外はペンを持たないようになり、それすらも自分が解読できれば良いというレベルに終始してしまっています。

 

だからといって「パソコンの普及による漢字文化の終焉」だとかいう話には全く興味がなくて、そんなことの良し悪しや是非を語るつもりも全くありません。

 

 

父親の先輩で昔から海外にお住まいのSさんという方がいて、その方から以前頂戴した何通かの手紙を今でも大切に持っています。

といえば、普通は自分にとって大切な事が書いてあったり、頼りにする人生訓みたいなものを時おり読み返すような手紙かと思われるでしょうけれど、ボクが保管しているのは実はそんな理由ではないのです。

 

Sさんは決して字が上手いわけではないのですが、本人独自の筆文字を大小書き連ね、便箋の一枚一枚が作品のように見えるのです。バランスが絶妙に取れており、ご本人のお顔も浮かぶ、実に味のあるデザインとしての文章を魅せます。(さすがに文面はお見せできませんが‥)

 

思えば「書」に代表されるような芸術品をはじめとして、文字というのは絵画などとある意味同様にビジュアル要素を多分に擁しています。デザインの主要な分野としてのタイポグラフィは、アーティスティックなものから実用的なものまであらゆる効果を発揮しますから、文章の内容は言うまでもなく、どんな書体でどのように配されているかも本当に大事。

 

この<霧雨(kiri-same)>は、硯を溶かしきれていないような薄い黒色のインクで、書き出しや「トメ」の箇所が濃くなる、いかにも「味の出そうな」モノ。

ボクの衝動買いのイケないところは、それを手に入れたらSさんのような手紙が書けるのでは、と勘違いするところにあるのですが・・・。

 

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写真は連休中、夜の長崎空港。

 

長崎の空港は箕島という大村湾の島を利用した、世界初の海上空港です。

 

とはいえ開港35年を数える空港ビルはお世辞にもキレイとはいえず、かといって「味のある」雰囲気だとはお世辞にもいえません。ただしその地味でモタついたデザインは次回建て替えの機会が来ればそれなりに洗練されるので良いでしょうし、深夜に出没する狸の軍団が有名な、ほとんど羽田線でしか利用されない地方空港としての独特の「におい」を感じるなら、実になんとも言えない感じに仕上がってきています(実際昔からヘンなにおいがする)。

 

全国各地の空港が抱える赤字が問題になって久しいですが、新幹線も来ていない長崎にとって空港は文字通りの「生命線」。旅行やビジネスのみならず、遠征に行く中高生や、進学した大学生、ショッピングにいくOLさんも、みんなここから。

 

ボクはこの空港が生まれ変わるならば、温かくて気の効いたもてなしを誇る、小さくても品の良いホテルを模したような空港になってくれないかな、と思うのです。ブランディングは服装からサービスの質にまで浸透させて、時間をかけて伝統をつくりあげていく。

 

歴史を大切にする長崎の空港に、流行の<取って付けたような>デザインをして欲しくないな、と思います。

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初詣、諏訪神社へ向かう長坂の階段を上がりながら、これからどの順番で何をするかという風にいちいち考える人はいないかも知れませんが、はじめに柄杓(ひしゃく)で水をすくって手や口を清める人は結構いらっしゃるかもしれません。

 

その「手水舎」の頭上にあった作法書きですが、

勝手に察する時代にして、かなりの良家と思われる家柄のご令嬢が描かれていて、

違和感があるかといわれるとそうでもないのだけれど、どこか面白い。

スカートのふくらみ具合か、ヘアスタイルか、ハイソックスか・・・

 

実際に柄杓を手に取ると、柄にはすべて地元企業の社名が焼印されていました。

ふと考えれば、古くから神社やお寺というのは「広告」という行為が「寄贈」や「寄付」という名で摺りかえられていて、庭にあるベンチや石にはじまり神殿に捧げられたお酒にだって、社名や個人名が広告されています。協賛する企業や個人にしてみれば、世に自らの信用性や信頼性を売る格好の場所であったわけです。

 

でも、真清水の神秘的な霊力でこれから身を清めようとするときに、いざ企業名が目にはいるとあまり良い気分はしないかもしれません。広告としては目立っていて良いのでしょうけれど、好印象を残さなければ逆効果になる危険性もあります。

 

そんなことをぼんやり考えながらひいたおみくじは、最高の結果に!

今年は何か、新しいことを始めてみよう!!

と、例年通り誓うのでした・・・。

 

あけましておめでとうございます。

年末のブログ更新は余裕がなく叶わず、あっというまに正月になってしまいました。

公私共に旧年中にお世話になった皆さま、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

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