祖父の家は長崎市の三川町という浦上川の支流にあって、自然に囲まれた田舎だ。
幼い頃は川で泳げたし、蛍だってたくさんいた。
祖父は父と共に事業をしていたが、会社が一度目の和議を申請した頃から疎遠になり、同時にガンが祖父の身体を蝕んでいったらしい。
中学生のとき祖父は他界してしまったが、遺品として祖母から姉はオメガの金時計を、僕は祖父が戦争で手にしたという勲章をもらった。
今思えば、孫の僕らによくこれらをくれたものだ。
正直、勲章をもらってもあまりうれしくなかったのは、「気持ち悪かったから」だ。
何度か見せてもらった戦時中の写真は、ただでさえ暗い光景がモノクロなものだから気味が悪く、写真のどこかに死人が倒れているんじゃないかとそればかりが気になって時間が過ぎるのを待つしかなかった。
それが、このあいだ百田尚樹「永遠の0(ゼロ)」を読んでから、祖父の勲章を探すことになった。
どうしても確かめたくなったのだ。
それを見れば、祖父が若かった時代を感じられるんじゃないかと考えた。
ひとしきり勲章を触ってから、また片付けた。
祖父は海軍に従事していたはずだが、それ以外の話は知らない。
祖母との戦時中の恋愛についても知らない。
兵として駆り出された人々は、戦争のために生きていた人たちではなく、多くは人生や家族のために生きていた人たちばかりだった。
カミカゼアタックや人間魚雷と訊いて、あの頃を狂気の沙汰と感じる今の僕らと同じ心境を、祖父たちも実は感じていたのだと思うと切なすぎる。
だからあらゆる意味で多種多様な勲章が必要だっただろうし、それらをデザインしていた人もいたのだな、と考えて、ついカメラを手にとったのです。
戦争の勲章に意味があることを願って。
]]>パナソニック社のウェブサイトの価値が812億円と試算されたそうです。
閲覧と行動の情報価値、売上価値を算段しているそうですが、
未だデスクトップやケータイ画面の域を出ないウェブサイトの価値が812億円といわれれば、正直驚きますね。
それでは、あなたのウェブサイトは幾らくらいの価値があるのでしょう。
もちろん業種によってウェブサイトの理想的な資産価値は変わります。
たとえば600億円を売り上げるFACEBOOKですが、仮に企業評価額=ウェブサイト資産価値とすると1兆円~2兆円にもなるそうです。
決算公表によるパナソニック社の売上高が7兆5千億円とすると、812億円はおよそ1%という計算。
あなたの会社が100億円企業ならばウェブサイトに1億円の価値が、
10億円企業ならば1千万円の価値がありますか?
あまりにも意味のない計算をして申し訳ございませんでしたが、
それくらいの認識で自社のウェブサイトという資産の価値を、高めていく必要があるんじゃないかな、と思います。
特に中小企業経営者の皆さまにとっては、比較的少ない投資で可能なウェブサイトの資産価値向上が、
経営上かなり有効な手段のひとつであることに気づいて欲しいなと思います。
じゃあ、弊社のウェブサイトはいくら???
社長に訊いてみなくては(笑)。
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大浦海岸通は窮屈な長崎にあって珍しく広々とした気持ちの良い道路で、
長崎港と水辺の森公園を左手に、オランダ坂のある東山手を右手に出島へ向かうと、
市民病院前の大きな交差点にぶつかります。
このたび㈱フジオカさんの新しい看板が、この通りの正面にある澤山商会ビルの屋上に掲げられました。
基本的に「太陽光発電システム」のPRではあるものの、商品やサービスの購買を直接的に煽るような強制的な手法ではなく、この事業に取り組む誠実で真摯な会社としての姿勢を、親しみやすいイメージ表現でお伝えしていきたいと云われました。
太陽光は無料でほぼ無限のエネルギーですから、当然環境へも優しいし、不況のなか家計も助かるというPRは王道かもしれません。
でもそれについては別の場所で具体的な数字とともに詳しくお伝えするとして、この看板では藤岡社長の「想い」の部分を代弁するような表現をして、温かくマジメな会社のPRをお手伝い出来ればいいな、と考えました。
僕らは太陽に生かされていて、様々な恵みを受けて、元気をもらっています。
当り前すぎて、気づかないですよね。
それをあらためて知ると、太陽と一緒に生活することの意義が簡単に理解できるし、
植物を含めたすべての生態系のほんの一部であることへの感謝が生まれるし、
環境活動もこのような見地にたてば、一気に身近なものである気がしてくるのです。
ボクも大好きな長崎出身のイラストレーター、ウラタダシさんによる「love & family」は、
「太陽の有り難み→生の象徴→元気な子供たち」そんな雰囲気をいっぱいに表現していて、
見るたびに微笑ましく感じさせてくれる絵です。
描いた直後に奥様の妊娠がわかったというウラさんご自身の幸せを予言したイラストと、その絵が大好きだとおっしゃった藤岡社長。
この看板が、長崎市の要所であるこの交差点の上から、たくさんのシアワセを振りまいてくれるといいなあ。
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本は人並みに読むほうだと思っているのですが、
「何度も読み返す本がある」という人のことを実はあまり理解できません。
もちろんそれは主に小説やエッセイ、評論などのことですが、
絶対に捨てられない本はあっても、「もう一度あの部分が読みたい」なんてことはまずありません。
こう書いてみて、読み返さないと知っていて捨てられない本のことに思いがいきそうになりましたが、
まったく違う話になりそうなのでやめます。
そのかわり、空想に束の間のあいだふけったり
芸術性や実用性を求めているわけではないのだけれど、
パラパラとめくればもっと別の形のない物語のような感覚をおぼえるもの、
人生の長い時間で何度か開く、そんな本はいくつかあります。
そんな本の種類は写真集などのヴィジュアル性が高いもので、
ボクは詩集などは買いませんが、反芻して心が洗われたり、
いい気分転換になるもの、何がしかのアイデアを沸かせてくれるものが多いような気がします。
昨夜寝る前に久し振りに開いたYann Arthus-Bertrandの「THE EARTH FROM THE AIR 365 DAYS」。
3kgくらいある洋書なので、ベッドにうつ伏せになり、胸の下に枕を引き寄せて、
しっかりと目の前に置いて楽しんでいると、目眩く世界中の空からの美しくも愉しいが登場します。
気分は適度に高揚してきますが、見開きの左側は写真に関する英文なので眠気も程良く襲ってくるという格好のベッドサイドブック。
もちろんGoogleEarthなんて比較するまでもなく、用途としてまったく別のもの。
写真は圧倒的に生きているし、だからこそ心に直接語りかけてくる本。
iPadで手軽になったWEBの世界がいくら発展しようとも、
この手の本がもつ中身はおろか、物体としての手触りや重み、匂いなどの価値が、
失われることはないような気がします。
ここ最近は、「TRANSIT」という雑誌を何号も重ねて置いておいて、
適当に開いた頁を読みながら寝るのが幸せです。
鶴の港と呼ばれる長崎港は、鎖国時代唯一の国際貿易港として機能した歴史をもっています。
坂本龍馬もこの港を出入りする外国船を見つめていたのかもしれませんが、
そののち電気が発達した私たちの時代になると、
港からすり鉢状に生活が形成されている長崎には「夜景」という副産物が生まれたのです。
船舶や建築に関する電気工事全般を営む長崎電気㈱さんのサインでしたので、
「船舶」「建築」「電気」「長崎」という4つのキーワードを盛り込むことにして、
素材は港を中心にした市民自慢の素晴らしい夜景に決定。
稲佐山方面から長崎港を望んで夕暮れを待ち、看板用に写真を撮影しました。
クライアントは工事会社ですので、本社玄関脇に設置するこのサインに、具体的に決まった商品やサービスを訴求する必要はありません。
永く掲げられることを想定して、社名が明確に認識されること、その認識に嫌悪感を抱かれないこと、工事会社のイメージ向上に繋がる上品な雰囲気をもたせることを目指したのですが、
沿道の排気ガスによる汚れが目立たないようにブラック主体で構成して、夕暮れ時から徐々に、幻想的に光ってくれればいいな、というのが狙いです。
先日、夜間照明の確認にお邪魔した時の写真がこれです。
内部照明によって暗闇に引き立つ写真素材として、夜景はもってこいの素材だったことを再認識したのでした。
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昨年版から学校案内とポスターのお仕事をいただいている九州医学技術専門学校さん。
臨床検査技師と医療秘書を育てる日本でも歴史のある専門学校で、
なんだかんだとご迷惑をおかけしながら、来年度の募集案内が完成です。
学生たちの入口を少し広げてみよう、臨床検査技師の仕事を知ってもらおう、という前向きな試みから、明るくわかりやすいものにする必要がありました。
学校の魅力や欠点はそこに通う学生たちが一番知っています。
半分冗談みたいなインタヴューやアンケートが、実はいろいろなことを教えてくれます。話しが進むと、熱い想いを語ってくれることもあります。
いわゆる「最近の若者」たち、のそういった一面を知ることができるのは本当に新鮮で楽しいことなんですよね。
学生のインタヴューが示すとおり、こちらの学校の一番の魅力は先生たち。
楽しくて明るい先生が、学生と一生懸命に肩を並べて頑張ってくれる光景は、大学に通っていた頃のボクにはまったくなかったことなので、取り返しのつかない後悔の念が押し寄せてしまうのも仕方がありません。
それから、少し感動したことが。
納品の日、汗だくになって、パンフレットの入ったダンボール10箱をひとつずつ運んでいました。
あまりの重さに左手の握力が効かなくなり途方にくれていた頃、
ひとりの男子学生が「手伝いますよ」と言うなりダンボールに手をかけてくれたのです。
想像よりも重かったようでかなり苦労していましたが、最後まで手伝ってくれたあと、そそくさと教室へ向かったのです。
自分と無関係なこの作業を、返事も求めず手伝い始めるこの学生に、痛く勉強させられました。
若くしてこういうカッコいい男がいるのです。この学校には。
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先輩のお嬢さんが頑張っている、長崎市立緑が丘中学校の女子ソフトテニス部の応援幕を作りました。
部活動の大会で応援席に掛かる垂幕といえば、「必勝」とか「一球入魂」とか「がんばれ!」とか、ストレートな根性系が多いです。
たとえそれが女子ソフトテニスであってもそれはそれでいいのですが、僕の世代からいうと学生女子テニス=エースをねらえ!となってしまうのは当然。
エースをねらえ!とくれば、主人公の岡ひろみではなく、お蝶夫人となるのもこれまた当然。
とうわけで、イメージは彼女。
お蝶夫人は女子高生の設定ですが、すでに女子高生を超越した色香とウィンブルドン級の実力を兼ね備えているため、イメージの採用は女子中生でもなんら問題はありません。乙女は血のにじむような努力の後に、華麗に勝利しなくてはならないのです。
この旗のデザインが、義務教育の一環である部活動の応援幕としては「少し遊びすぎではないか?」と思われる日本の保護者の皆さま、お蝶夫人の「珠玉の名セリフ集」を噛みしめれば、この旗が少しだけ好きになるのではないでしょうか(笑)。
「頑張れ、緑中女子ソフトテニス部!!」
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タクシーを選んで乗るという人は、
親戚や友人が運転手をしていたり、意気投合して懇意になった運転手がいたり、特別な思い出があったり、マイルやポイントが貯まる会社だったり、縁起担ぎで決めている会社があったり。
そんな事情で、このタクシー、この運転手、と決めている場合があるかも知れません。
また、相性の悪い出来事が過去にあって、特定のタクシーを避ける人もいるでしょう。
でもタクシーを選ばないほとんどの人は、
急いでいたり、身体がきつかったり、他の交通機関がなかったり、目的地へのルートを知らなかったり、買い物をしすぎたり、汗をかけない事情があったり、チケットが手元にあったり。
そんな時はすぐに乗っけてくれて素早く快適に移動してくれれば、どのタクシーであろうと構わないのです。
オレンジカラーでお馴染みの「住吉タクシー」さんから、新しい車体のロゴデザインのお話をいただきました。
デザインへの要求事項は大きくふたつ。
①古くからの大切なお客様である高齢者の方々にも読みやすいこと
②女性が気持ちよく利用できる、清潔感と新しさを感じさせるものであること
条件は、劣化交換の多い後部ドアを除いた、前方ドアのみの表現でした。
タクシーを選ばない多くの人にとって、流しのタクシーはくじ引きみたいなものかもしれません。
でもだからこそ、乗るときに少しだけ楽しくなるような、降りるときにほんの少し絵になるようなタクシー。
それから質の高いサービスを感じてもらって、いつかははじめから選んでもらえるきっかけづくりに。
じつを言うと、
「乗った先に、幸せなことの起こるタクシー」だとか、
「大切な人に逢いに行くタクシー」だとか、
そんなことも考えながら作ってみました。
だから個人的には、そうなって欲しいな、と願っています。
多くの映画で重要な役割を果たすように、数え切れない人たちの人生が乗っては降りていく場所ですものね。
今は亡きクエンティン・クリスプが
「真実を話す人はみなおもしろい」
ということをあるデザインの講義で語ったといいます。
これは直感的で実に的を得ているように思います。
人が正直であるように心がけるだけで、皆が興味をもつということです。
ちなみに故クエンティン・クリスプはスティングの「English man in New York」のモデルとして、
そのPVにも主演したことで有名になった作家兼デザイナー兼・・・という、
ゲイであることを公言して波乱万丈の活動を続けた特異な人物です。
ですから、自らの人生から膿のように出た言葉とも言えるかもしれません。
しかし、彼(?)が講義でそう語ったわけは、デザインが多数に働きかけるものであるからです。
たとえばデザインの提供者であるボク自身が正直であり、その発信者であるクライアントが正直であるとき、協働して生まれるものに価値があるのですね。
このようなボクでも、そんな理想は幸いにして抱きながら仕事にあたっているわけですが、
仕事を含めた生活全般、もっと言うなら人生においてそうであることは、なかなかできることではない。
そう考えてみると、正直であることは簡単でいて、非常に難しいことなのです。
ただ、それを実現している数少ない人間や会社などの組織は、すごく魅力的です。
そして結果的には彼らこそが多くの人たちから支持されている気がします。
彼はまた、こんな印象的な言葉も残しています。
「人生とは、墓場へ行く途中で起きた、ある滑稽な出来事だった。」
ほんとうに人生はつかの間。
そのちょっとだけ与えられた時間を正直に生きることの素晴らしさについて、
ときどき気づく必要があるのかもしれません。
毎年ゴールデンウィークになると、有田と隣町の波佐見を中心に陶器市が開かれます。
今日はそのゴールデンウィーク前の日曜日。
久しぶりに天気が素晴らしかったので、ドライブがてら白山陶器の醤油注しを買いに有田波佐見方面へ向かいました。
来週には凄い混雑になる有田でのんびりと店先をひやかしたあと、波佐見の白山陶器へ。
しかし残念ながら店舗は改装中。
まあ、白山の醤油注しは超定番なのではっきりいってどこでも買えるんですが、
買うと決めて出かけてきたからにはどうしても手に入れなければなりません。
あ、そうだと気づいて「花わくすい」へ。
しっかり目的を果たしたあとは、もちろん東彼杵ICまで一般道で。
お気に入りの川棚からそのぎへの海沿いの道を通って、帰路につきました。
写真は有田焼の平壺。直径50cmくらいあって華やか、見ていて楽しくなります。
お値段210万円ナリ。
有田は佐賀県、波佐見は長崎県。
有田焼も波佐見焼も、江戸時代に伊万里港から積み出されていた通称伊万里焼ですが、
どうしてここが県境になったのか、調べてみるのも楽しそうです。
「長崎の名物は何ですか」と訪ねられたとき、カステラ・ちゃんぽんも結構ですが、
個人的には、世界的に有名な「伊万里焼」の名前を出したらよいのに、とよく思うのです。
週末を利用して上海まで。
クライアントが建設中のマンションに使用する建材の調達に同行させていただいたわけですが、
外装材の永く飽きさせない色目や風合い、意匠的な経年劣化にもできるだけたえうる素材を選ぶお手伝い、というのが私の役目になりました。
もちろんマンション名及びロゴデザインも含めてのお話なのですが、
いまや「世界の上海」を5年ぶりにウロウロしたいという個人的な目的に突き動かされての参戦だったと言えます。
ご存知のように中国国内には世界のあらゆる産業の生産工場が集中していますが、なにせとんでもなく広いですよね。
時間のないボクたちにとっては中国第一の経済都市である上海で、地方から集まってくる商品サンプルを検討しようということになったわけです。
もちろん、そうまでして現地へ向かった理由は流通構造の中抜きによるコストの削減にありますが、
現物を確認しなきゃ工事採用はできないという事情もあり、オーナーも同行しての旅程でした。
しかし、「中国は生産工場だ」というこれまでの見方は、いい加減改めなくてはならないことを現地の事業家との会食から気付かされることになります。
つまり中国は世界一の生産工場である以前に、「世界髄一の消費大国」だという事実。
週末のVUITTONに入場制限の行列ができる上海は、富裕層の数だけで日本の人口に迫るといわれている中国経済の象徴。
中国はもはや安い労働力による素材や商品を日本へ仕入れる相手ではなく、
ボクらが質の良い商品やサービスを売りにいくべき市場だという見方が当然のようにできるし、
購買力のある彼らはメイド・イン・ジャパンの品質を真剣に欲しがっているのです。
以前から中国市場で成功する日本企業の話はたくさんありますし、商圏としての認識はもちろんあったのですが、事実として受け止めることができたのは今回久しぶりに訪ねたからなんですよね。
いつも自分の目で見て手で触らないと、物事の実感というのは沸かないものだと感じます。
幸いにも視察は大成功のうちに終わり、オーナーや設計士、建築の考えも昼夜を共にすることで感じあえたと思います。
まあ、時期的には上海万博は来月だし、帰国した午後にF1の上海GPが開催されるという哀しいスケジュールでしたが、もっと哀しかったのは、長崎が姉妹都市であることを知る上海人と最後まで巡り会えなかったことでしょうか・・・。
個人的にも朝はホテルの周辺を散策したり、時間を盗んでアート街「莫干山路50号」にも急行、
会食を終えた深夜からCLUB「MUSE」へ遊びに行ったりで相変わらずの貧乏根性、睡眠を惜しんだために風邪は治らず終いです。
ガンホイでのファッションショー風パフォーマンス。通行人も興味津々。
莫干山路50号は新進気鋭のアーティストが軒を連ねるギャラリー街。デートスポットみたい。
]]>移動のあいだにせっかくのスーツのフォルムが崩れて、シャツがくたびれて、いかにも遠方からやってきたようなイメージを与えるよりは、はじめから少しカジュアルな崩し方をしておいた方がきちんと見える場合もあると思って。
自分的にスーツが基本であると考えてはいますが、弊社の仕事であるデザインの分野から派生するビジネス会話をお客様が話しやすいムードは、こちらがスーツでなくても良いような気も、最近はしています。契約時には正装でも、翌日の打ち合わせはデニムだったりという具合に。
ここまでツベコベ書くからには単純にラクしたいんじゃないのかといわれると、正直そうなんですが。
大阪出張の朝に履いた「visvim」のデッキシューズの口が、パカッと開きました。まさにパカッって感じで小学生の頃に校庭で起こるような出来事に驚きましたが、ハードユースがたたったのかもしれません。
すぐに「Alden」の革靴に履き替えましたが、ラクチンなvisvimを期待していたボクの足は、いつもより早く痛くなりました。
生来ボクの左足の甲は右足のそれよりも高くて、きっちり作りこまれている革靴はきついのです。理想としてはもちろんオーダーメイド靴なのですが、生活の拠点が長崎である以上、メンテナンスにストレスがあります。
実際、「オーダーメイド」といえば何かにつけ高級な印象がありますが、靴などの革製品については特に、首都圏に住んでいるなどメンテンスができる環境にあれば、良いものが比較的安価に維持できるのになあと残念になります。
ところでお邪魔した「レディースクリニック北浜」さまのご担当の方から、お土産に「五感-GOKAN」のケーキをいただきました。お客様から頂き物をするなんて、感激至極です。しかもクリニックへ行く道筋にこのお店はチェック済みで、打ち合わせ後に寄ってみようと思っていたのでそのタイミングに驚きました。
その五感の入っているなんともいえない佇まいのビルは大正11年の建築だそうで、皇居二重橋や奈良ホテルをつくった河合浩蔵さんの設計。古い建物はパティスリーや和菓子屋さんでなくとも、洋服屋さんでもなんでも、テナントの好感度が増しますよね。建物の威を借りる、ウチもいつかそんなことをしてみたいなあと夢見てしまいました。
日帰りの強行スケジュールでしたので、そのまま南堀江にあるこれまたお洒落な花屋さんへご挨拶。
まあ、なにせ大阪という土地は阪神タイガースとお笑いとたこ焼きみたいなイメージがボクの頭にも根づいていたのに、道は広いわ、緑は多いわ、清潔だわ、お洒落だわ、人は良いわで、暮らしていた東京よりも、ここって素晴らしいところではないのかね?と感じるようになりました。
今朝は帰りに新大阪駅で買った「Manneken 」のシナモンワッフルを食べて幸せのうちに出社しましたが、スタッフへの土産には「赤福」です。ボクは赤福を食べたことがなくて、こないだの賞味期限事件をTVで観てから食べてみたくてしようがなかったのです。
感想は、「見たまんまの味」。それはそれで大事なことですよね。
チョコレートの「Kit Kat」が幼い頃から好きで、これまでいくつ食べたかわかりません。
「マッキントッシュの、キットカット」という不二家のCMのフレーズを憶えていますが、その後マッキントッシュ社はネスレに吸収されて、ネスレ・キットカットになったわけです。
思い出すのは留学していたころ。クラスが終わると、金沢から来た友人とキャンパスのカフェで熱いコーヒーをテイクアウト。隣の売店でキットカットを一枚買って、寒いなか湯気を立てながら、Coming Age PartyのLive打ち合わせをするのが日課に。
ウェハースとチョコが、熱いコーヒーで何ともいえない幸せが口の中にひろがったものです。
しかし、永く愛される市販のお菓子って、デザインの変わらないものが多いことに気づきます。
ポテトチップスや板チョコに始まり、せんべいなんかもそう。味や食感を知っている消費者にいつでも安心して手にとってもらえる定番化を果たしているからなのですね。
その中でもオールドアメリカンで元気のいいキットカットのデザインがボクは好きで、写真のトラックを本気で欲しい衝動にかられます。ゴルフバッグも検討しましたが、パッケージのあの微妙なレッドではないんですよね。
気になってウェブサイトを開いてみると、期待通り楽しく作ってあります。いま流行りのオリジナルキットカットも作成出来るそうで、これだけの定番商品になってもサービスの進化を行っていくブランドは、いいなあと素直に思うのです。
「定番化」があらゆるブランドの永遠の目標であることに気づけば、広告活動はいつも信念の伴ったものになるはずなんですけどね。
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ニューバランスのM1300は2度目の登場ですが、今回は先日発売された2010年モデルです。
初代は1985年の発売ですが、その後に普通に改良が施されたため、初代ファンのために1995、2000、2005年と5年おきに3回復刻(原型にできるだけ忠実に制作)されてきました。
そして今回が4回目。
当時、初代の絶妙なカラーが好きで1995年の復刻モデルを買って喜んでいたボクですが、スニーカーなんてたまの週末に履いても5年もすれば買い替えもいいところ。
当然のように2000年も買うつもりが、予約で完売。ボクの1300は汚くなるし壊れるしで、出番は減る一方。
ところが2005年も同じ状況で取り逃がすのです。そのあいだ古着屋さんでデッドストックを見かけても、とても買う気になれない金額。かといって他のスニーカーで同じカラーリングを出さないニューバランスには怒りさえ覚えつづけました。
じゃあ、次は2010年だろうと友人と話していても、「もう作らないらしい」とか噂がたって、こうなるともう幻のスニーカーと化してきます。
長崎ではまず見かけませんが、それでも街でたまに履いている人が若かったりすると、いったい何年の復刻か、似たのが出たのか?と気になる始末。
だいたいスニーカーとして当時いくらその性能が衝撃的だったといっても、25年も前の話なんです。
そりゃあ最新型の別品番のほうが履いていて気持ちイイに決まっています。実際993の気持いいこと文句ありません。
それなのに狂気的な人気を誇るこのスニーカーは、わざわざ25年前の再現をするうえ、「今度の復刻はどこまでオリジナルに忠実か」という問題が話題になるわけです。
もう、呆れて興味も薄れそうなものだし他にもカッコいいスニーカーは世にたくさんあるのですが、今回の1300は、ソールに当時のメーカーが再登場したり、縫い目の曲がり具合まで似せたり、ベロに貼られたタグの詳細がコピペしたようになっていて、箱や袋まで今まで以上だというじゃないですか。
ということで、買うしかなかった?わけでした。
単なる買い物報告・・・。
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空は昨日までの悪天候が嘘のように晴れ渡っていましたが、冷たくて強い風が肌を刺してくるので、早々に引きあげました。
先に申し上げておきますが、この本は昨年「ミズノスポーツライター賞」を受賞した氏の著書であり、ボクが写真の本の装丁をしたわけではありませんので、今回もデザインのブログではないのです、あしからず。
宇都宮さんは、若い頃にボクが憧れた生き方を地で行ってらっしゃるいわばヒーローのような存在。
だって、物書きになりたい、サッカーに携わりたい、いろんな国へ行ってみたい、といったボクの夢をいっぺんに体現されているのですから。しかも懐かしのTV番組「ダイヤモンドサッカー」などの制作を担当された、会社員経験のあるライター兼写真家さんなのです。
お逢いした時から「いい人オーラ」がプンプンと漂っており、言葉も丁寧で恐縮しっぱなしでしたが、短いながらも大変楽しい時間をいただきました。
リーガやプレミア、セリエなんかの大舞台には誰もが認める夢があるけれど、世界のもっと辺境の国でも、フットボールに対する夢は確かに生きづいています。そしてそれは、長崎に誕生したV・ファーレンでも同じ。
サッカー好きなら、地元チームの試合は観戦しましょうよ!?と怒られましたが・・・。
ところで自分の過去の夢のなかに生きている方にお逢いすると、人はいつ夢をあきらめるのか、いつまで夢をあきらめないのか、不思議になります。
生まれたときはみな平等にチャンスがあるけれど、なにかになりたいわけじゃありません。
就職活動にしたって、大手ブランドに対する所属意識についていうつもりはありませんが、財務内容や福利厚生でピックアップしていたあの頃を思い出すと、今なら確実に違う選び方をしていたと思います。
ただボクは幸運なことに、今ある現実が悪いものではないと感じています。
なんだって仕事はいろんな出会いがあり、楽しい。行きたい場所へ本当に行きたくなったときにはすぐに行ける世の中だし、好きなものを好きだといってかまわない。こうして宇都宮さんのような方にも逢える。
そういう意味では、世の中は日に日に良くなっていると思うのです。