このブログはスペース・ラボのものではあるけれど、
ボクはこれをたった今という時間に書き残しておかなければならないから、ひとまずここに書きます。
ごめんなさい。
アキラという2つ年下の後輩が亡くなった。
同じ高校のサッカー部だったが、ボクが長崎へ戻って社会人チームを創ろうと呼びかけたときの最初のメンバーで、良い意味で先輩を先輩として扱わない、茶目っ気のある可愛い後輩だった。
ずいぶんと前に胃を全摘していたが、持ち直して市内リーグにもまた出場できるくらいになり、何年かは良い感じにみえた。
築いた家庭には元気な子供も産まれ、よく可愛がっていたことを思い出す。
アキラの体調が思わしくないことは本人から聞いて知っていた。
久しぶりに入院したと聞き、同じサッカー部の友人と顔を見に行ったから。
日も暮れた宝町の井上病院で他愛のない話をしたけれど、最後にアキラは「自分の身体はマズイ」といった。
手術をしようとしたが、何らかの難しい理由で見送った、というような話だった。
当時のサッカー部仲間では、同級生の友人が何年も前に新宿のホテルで亡くなっている。
前週に子供をつれて我が家へ遊びに来ていたのに、突然だ。
命日には仕事帰りの同級生が集まって墓参り。日々仕事や家庭に追われるボクらを、かろうじて年に1回は繋いでくれている。
故人を想うことはあっても、故人へしてやれることは、残念ながら、ない。
今朝からなんとなく気の抜けた状態で、哀しいやらやるせないやら、そんな言葉では表現できない複雑な感情が心にどんと座ってる。
帰宅して久しぶりにぼんやりと「死」について想いをめぐらせたときに、「死」についていくらか書いてあったと憶えていた本に気づいて、ダンボールの奥から引っ張り出してきた。
難しくて少しずつしか理解できないから、その部分を何度も読み返してみた。
ちなみにこの本の半分は、著者の鋭い感覚からうまれる活き活きとした自然風景の描写だ。
アキラ、キミのタフでオールラウンドなプレーを想いだすよ。
その頃の風景と共に。
以下、J.クリシュナムルティ(*)というインドの賢人が、78歳のときにつけた日記の一部です。
死はいたるところにあるというのに、私たちは死と共に生きてはいないようだ。
それは暗く恐ろしいもので避けるべきであり、けっして語るべきではない、扉を閉じてそれが近づかないようにというわけだ。
しかしそれはいつもそこにある。
愛の美しさは死そのものなのに、だれもそれを知らない。
死は苦痛であり、愛は喜びであり、この二つはけっして相容れない、切り離したままにしておくべきだ、と。
しかしこの分離が苦痛であり、苦悩なのだ。
この分離と、果てのない葛藤は時間が始まって以来こうだった。
観察する者は同時に観察されるものであり、経験する者は経験されるものであるということに気づかない人たちにとって、死はこれからも常にあるだろう。
それは広大な河と、その中にいる人間という関係に似ている。
彼はこの世の財産や、さまざまな虚栄、苦痛や知識を抱え込んでいる。
流れのなかでかき集めたものをすべて後にして岸に泳ぎつかない限り、死は常に戸口のところで根気よく待ちかまえ、油断なく見張っている。
彼が河をあとにすると、岸もない。
岸とか堤とかは言葉にすぎず、傍観者でしかないのだから。
彼は河も岸もすべてを後にしてしまった。
河は時間であり、岸は時間という観念だからである。
河は時間の動きである。
観念はその河の動きである。
観察者が自分と一つになっていたものすべてを捨てたとき、観察者はいなくなる。
これは死ではない。
これは無時間である。
あなたはそれを知ることはできない。
なぜなら、知られたものは時間に属するからだ。
あなたはそれを経験することはできない。
認識とは、時間によって成り立つものだ。
知られたもの、既知のものから自由になることは、時間から自由になることだ。
不死性とはただの言葉ではなく、書物とかイメージとか、あなたが組み立ててきたものではない。
一方、魂とか、いわゆる<私>とか、アートマン(真我)とかは、時間すなわち思考の産物である。
時間がないとき、死もない。
ただ愛があるだけだ。
September,19 1973
*14歳で未来の救世主と信じられた神智学協会の至宝であり、20代で大教団の最高指導者となったが、30歳ころを境に組織と教義を否定、あらゆる宗教と神の存在や自らの肩書きも完全に否定し、ただ一人の自由人としてダライ・ラマを始め世界中の作家、学者、医者、物理学者ら著名人に深甚な影響を与えた人物。