アートの最近のブログ記事

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本は人並みに読むほうだと思っているのですが、
「何度も読み返す本がある」という人のことを実はあまり理解できません。

もちろんそれは主に小説やエッセイ、評論などのことですが、
絶対に捨てられない本はあっても、「もう一度あの部分が読みたい」なんてことはまずありません。

こう書いてみて、読み返さないと知っていて捨てられない本のことに思いがいきそうになりましたが、
まったく違う話になりそうなのでやめます。

そのかわり、空想に束の間のあいだふけったり
芸術性や実用性を求めているわけではないのだけれど、
パラパラとめくればもっと別の形のない物語のような感覚をおぼえるもの、
人生の長い時間で何度か開く、そんな本はいくつかあります。

そんな本の種類は写真集などのヴィジュアル性が高いもので、
ボクは詩集などは買いませんが、反芻して心が洗われたり、
いい気分転換になるもの、何がしかのアイデアを沸かせてくれるものが多いような気がします。

昨夜寝る前に久し振りに開いたYann Arthus-Bertrandの「THE EARTH FROM THE AIR 365 DAYS」。

3kgくらいある洋書なので、ベッドにうつ伏せになり、胸の下に枕を引き寄せて、
しっかりと目の前に置いて楽しんでいると、目眩く世界中の空からの美しくも愉しいが登場します。
気分は適度に高揚してきますが、見開きの左側は写真に関する英文なので眠気も程良く襲ってくるという格好のベッドサイドブック。

もちろんGoogleEarthなんて比較するまでもなく、用途としてまったく別のもの。
写真は圧倒的に生きているし、だからこそ心に直接語りかけてくる本。
iPadで手軽になったWEBの世界がいくら発展しようとも、
この手の本がもつ中身はおろか、物体としての手触りや重み、匂いなどの価値が、
失われることはないような気がします。

ここ最近は、「TRANSIT」という雑誌を何号も重ねて置いておいて、
適当に開いた頁を読みながら寝るのが幸せです。

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先日、個人的に「本」を装丁したいという方がいらっしゃって、"和"の雰囲気がキーワードだったので、なんかないかな?と自宅の本棚をのんびり眺めていました。

 

取り出したのは1958年に発行された「THE FOLK ARTS OF JAPANMUNSTERBERG」という、アメリカ人が作った日本の古民藝本です。

当時東京のアメリカンクラブという団体が監修、デザインからタイポまで米国人デザイナーが作った和本ということで、和風テイストがより象徴的に表現されている予感がしたのです。

 

ページを捲ると、「to soetsu yanagi」とあり、日本民藝美への感謝を我々に教えてくれた、とあります。

 

柳宗悦は民藝に美を発見、美術史ではタブーだったこれらの美的価値を一般に紹介した有名人ですが、プロダクトデザイナー柳宗理のお父さんといえばもっとわかりやすいでしょうか。

ちなみに子どもや甥っ子は園芸家だったり陶芸家だったり、みんなそっち方面でホンモノの、コワい一族です・・・。

 

古くから「アート」と呼ばれる敷居の高いものは、特定の作家の個性的な感性や技術によって形づくられてきました。そこは民衆が立ち入れない(高尚な)別世界であって、その世界が認めたものが初めて、世の中で「素晴らしい」と賞賛を受ける構図になっています。

 

それが最近では、自らの趣向を公に示すことが良しとされる風潮も手伝って、私たちが無名の作家の作品に心を奪われ、多少の金額をいとわずに積極的に購入することは特別なことではなくなりました。

 

道端で売っていた手づくりの焼物のデザインが気に入ってつい買ってしまう、とか、昔から家の片隅にしまってあった照明が意外と格好いいことに気づいて、それにあわせた模様替えのための家具探しをはじめる、とか、ますます個人的なことになっているわけです。

 

つくり手の創意工夫が熱心にこもったプロダクトと、それを自らの感動の対象へと純粋に受け入れる購買人の関係は、楽しいですね。そこにはアートだろうがなんだろうがどうでもいい、感覚としての「美」を簡単に分かち合える空気があります。しかも、それを眺め、手に取るたびに楽しいとなれば言うことはありません。

 

氏も今年で生誕150年。

もし柳宗悦が現代にいたとしたらマスコミに引っ張りダコだろうなあ、と思いながら眺めていましたが、ほとんどの都道府県の民芸品が紹介されているこの本、長崎からは「ゼロ」でした・・・。

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こざき先生のご自宅兼アトリエで、襖(ふすま)の水墨画に囲まれながら、美味しいお茶とお菓子をいただいて、今日はいい気分です。

 

気さくな先生は、穏やかな奥様と一緒にいろいろと作品を見せてくださって、「楽しい時間はあっという間」とはまさにこのこと。

 

近々丸山公園に納められる制作中の龍馬像をはじめ、これまでの版画や水彩画、ガラス絵にオブジェ、陶芸など、ご自宅は「小崎侃美術館」と化していています。

 

こざき先生といえば「長崎」という土地にちなんだ作品が多いのですが、ボクは即興で描くこともあるという襖絵と版画の蔵書票、個人的にはこれが大好きです。

 

襖は障子と違って中国伝来ではなく平安時代の日本に誕生したといわれていますが、ボクにとっては幼い頃に家にあった松の絵+金粉みたいなのが薄汚く経年劣化してしまったイメージと、京都のお寺なんかで見るギンギンとまぶしいものの、どっちかでした。

 

写真はご自宅から見た長崎港に、先生がよく用いられるふくろう君。上部から山頭火さんの歌が入った、心落ち着く芸術作品に仕上がっています。

 

ちょっと考えれば、襖には部屋を隔てたり解放したりという便利な機能のほかに、ピシャッと閉めることで怒って見せたり、スーと開け閉めすることで「あなたは大切なお客様ですよ」と言ってみせたりする、いかにもジャパン的な良いモノなんですよね。

 

こざき先生の襖絵は楽しいから、ついつい眺めてしまいます。そうすると、襖というものの価値が甦ってくるんです。

 

魅力的なアートやデザインには、そういう力もあります。

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9年住んだマンションをひきはらって、今月引越しすることになりました。

 

少しずつ少しずつ、荷造りを始めているところですが、

 

冷蔵庫の横っ腹にマグネットで貼り付けたいくつかの写真にふと気付いて、腰をさすりながら懐かしく眺めていました。

 

そのマグネットのひとつ、こりゃ「Kaikai KiKi」の村上隆先生じゃあないですか。

以前お土産用に買って余ったもの。

 

デザインスクラップスというよりアートの部類ですよね。

 

ところで村上隆先生といえば現代ポップアートの代名詞ですが、芸大では日本画を専攻されたそうで、琳派の影響を受けているとか。んー・・・そうなのか。

 

(※琳派→発売中の雑誌「BRUTUS」が特集しています)

 

作品は世界規模でとんでもない高値が付くので周囲の喧騒がいろいろと大変そうですが、

 

アートにビジネスはつきもの。

 

デザインにもビジネスはつきもの。

 

むしろビジネスがそれらを動かしてきたし、これからもそうなのでしょう。

 

ボクはそれについてどうこう言う気はありません。

 

お仕事にありがたく感謝して、精一杯頑張るだけです。

 

そのときに、好きなアートをそばに置いていられたら最高ですけどね。

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奈良美智さんのブログが4ヶ月ぶりの久々に更新されて、

その20行ちょっとの走り書きにナーンだかいい気持ちになります。

 

作品がボクに放つメッセージというか、雰囲気というか、

なんだか説明のつかないものは、この方の人なりと同じで、

ひどく飾り気がなくて心を打ちます。

 

世界の奈良美智さんなのに、

たぶん、いつも自然体の、普通の人のような気がします。

 

もちろんお話ししたことも無いですが、

ひとまわりも年上だなんてぜったい思えません。

 

いずれ長崎で個展を開いてもらいます。

そして夜どおし付き合ってもらいます。

ん~、そっちのが本心かな??

 

※※ 写真は代々木八幡のショップで買った、我が家のPup Kingと着ぐるみ少女...。

 

 

TAPIES1.JPGボクがオフィスに持ち込んだ、アントニ・タピエスのアートポスター。

それがなんと、東京からふらりと戻った社長によって、マガジンラックの裏に押し込められるという冷遇・・・。

 

この20世紀を代表する現代美術の巨匠が受ける屈辱をチラ見するたびに、自宅に持ち帰ろうか悩みます。

 

タピエスを知ったのは若い頃に旅行したバルセロナですが、「ピカソとチングー」というこれ以上ないセレブコネクションを持っているんです。だからバルセロナ市当局から、ピカソに捧げるモニュメントの製作を指名されたのが彼なんです。

 

ロンドンのテートギャラリーとか世界中の有名美術館に所蔵されて、ん・・・たしか長崎県立美術館でも見たような気がする・・・アンフォルメル(不定期主義)のリーダー的存在、絵画に砂とか土、大理石の粉なんかを取り入れた、いかした美術品を創り出しました。

 

しかし考えてみると、誰だって好きなデザイナーやアーティスト、あるいはミュージシャンでもいい、彼らを思い出すときに、それぞれ彼らの作品の中で嫌いなものひとつやふたつはありますし、実際に大衆の支持を得ないケースってありますよね。

 

そういう意味では、世にまず作品ありき、製作者はその作品の影でのみ賞賛されるという常識を再認識してしまうわけです。

 

スペースラボはアーティスト集団ではありませんが、デザイナーももちろんこの部分では同じ。


これまでにご提供させていただいたウェブサイトや印刷物、看板・・・デザイン作品をもっともっと頻繁に検証していかなくてはいけない、そう思います。

 

それにしても社長、せめてひとこと言ってからにして。

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