最近買った万年筆用インク。
PILOTの「色雫(iroshizuku)シリーズ」、色は<霧雨(kiri-same)>です。
ボトルやパッケージのデザインとネーミングが洒落ていて、つい衝動買いしてしまいました。
しかし万年筆なんて年に何回も握らないどころか、ここまで文字を書く機会が減ってくると漢字は忘れがちだし、あれれ‥とペンも走らず、正式な文書や大切な方への手紙など、手書きでは本当にきつい状態に。
そうして契約書とかスケジュールとかメモのとき以外はペンを持たないようになり、それすらも自分が解読できれば良いというレベルに終始してしまっています。
だからといって「パソコンの普及による漢字文化の終焉」だとかいう話には全く興味がなくて、そんなことの良し悪しや是非を語るつもりも全くありません。
父親の先輩で昔から海外にお住まいのSさんという方がいて、その方から以前頂戴した何通かの手紙を今でも大切に持っています。
といえば、普通は自分にとって大切な事が書いてあったり、頼りにする人生訓みたいなものを時おり読み返すような手紙かと思われるでしょうけれど、ボクが保管しているのは実はそんな理由ではないのです。
Sさんは決して字が上手いわけではないのですが、本人独自の筆文字を大小書き連ね、便箋の一枚一枚が作品のように見えるのです。バランスが絶妙に取れており、ご本人のお顔も浮かぶ、実に味のあるデザインとしての文章を魅せます。(さすがに文面はお見せできませんが‥)
思えば「書」に代表されるような芸術品をはじめとして、文字というのは絵画などとある意味同様にビジュアル要素を多分に擁しています。デザインの主要な分野としてのタイポグラフィは、アーティスティックなものから実用的なものまであらゆる効果を発揮しますから、文章の内容は言うまでもなく、どんな書体でどのように配されているかも本当に大事。
この<霧雨(kiri-same)>は、硯を溶かしきれていないような薄い黒色のインクで、書き出しや「トメ」の箇所が濃くなる、いかにも「味の出そうな」モノ。
ボクの衝動買いのイケないところは、それを手に入れたらSさんのような手紙が書けるのでは、と勘違いするところにあるのですが・・・。