印刷物の最近のブログ記事

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本は人並みに読むほうだと思っているのですが、
「何度も読み返す本がある」という人のことを実はあまり理解できません。

もちろんそれは主に小説やエッセイ、評論などのことですが、
絶対に捨てられない本はあっても、「もう一度あの部分が読みたい」なんてことはまずありません。

こう書いてみて、読み返さないと知っていて捨てられない本のことに思いがいきそうになりましたが、
まったく違う話になりそうなのでやめます。

そのかわり、空想に束の間のあいだふけったり
芸術性や実用性を求めているわけではないのだけれど、
パラパラとめくればもっと別の形のない物語のような感覚をおぼえるもの、
人生の長い時間で何度か開く、そんな本はいくつかあります。

そんな本の種類は写真集などのヴィジュアル性が高いもので、
ボクは詩集などは買いませんが、反芻して心が洗われたり、
いい気分転換になるもの、何がしかのアイデアを沸かせてくれるものが多いような気がします。

昨夜寝る前に久し振りに開いたYann Arthus-Bertrandの「THE EARTH FROM THE AIR 365 DAYS」。

3kgくらいある洋書なので、ベッドにうつ伏せになり、胸の下に枕を引き寄せて、
しっかりと目の前に置いて楽しんでいると、目眩く世界中の空からの美しくも愉しいが登場します。
気分は適度に高揚してきますが、見開きの左側は写真に関する英文なので眠気も程良く襲ってくるという格好のベッドサイドブック。

もちろんGoogleEarthなんて比較するまでもなく、用途としてまったく別のもの。
写真は圧倒的に生きているし、だからこそ心に直接語りかけてくる本。
iPadで手軽になったWEBの世界がいくら発展しようとも、
この手の本がもつ中身はおろか、物体としての手触りや重み、匂いなどの価値が、
失われることはないような気がします。

ここ最近は、「TRANSIT」という雑誌を何号も重ねて置いておいて、
適当に開いた頁を読みながら寝るのが幸せです。

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昨年版から学校案内とポスターのお仕事をいただいている九州医学技術専門学校さん。

 

臨床検査技師と医療秘書を育てる日本でも歴史のある専門学校で、

なんだかんだとご迷惑をおかけしながら、来年度の募集案内が完成です。

 

学生たちの入口を少し広げてみよう、臨床検査技師の仕事を知ってもらおう、という前向きな試みから、明るくわかりやすいものにする必要がありました。

 

学校の魅力や欠点はそこに通う学生たちが一番知っています。

半分冗談みたいなインタヴューやアンケートが、実はいろいろなことを教えてくれます。話しが進むと、熱い想いを語ってくれることもあります。

いわゆる「最近の若者」たち、のそういった一面を知ることができるのは本当に新鮮で楽しいことなんですよね。

 

学生のインタヴューが示すとおり、こちらの学校の一番の魅力は先生たち。

 

楽しくて明るい先生が、学生と一生懸命に肩を並べて頑張ってくれる光景は、大学に通っていた頃のボクにはまったくなかったことなので、取り返しのつかない後悔の念が押し寄せてしまうのも仕方がありません。

 

それから、少し感動したことが。

 

納品の日、汗だくになって、パンフレットの入ったダンボール10箱をひとつずつ運んでいました。

あまりの重さに左手の握力が効かなくなり途方にくれていた頃、

ひとりの男子学生が「手伝いますよ」と言うなりダンボールに手をかけてくれたのです。

想像よりも重かったようでかなり苦労していましたが、最後まで手伝ってくれたあと、そそくさと教室へ向かったのです。

自分と無関係なこの作業を、返事も求めず手伝い始めるこの学生に、痛く勉強させられました。

若くしてこういうカッコいい男がいるのです。この学校には。

 

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温泉宿や旅館に行くと、仕事だろうが旅行だろうが、マッサージさんを呼ぶ癖があります。

食事や宴会で少し酔ってからになるので、だいたい40分6,000円くらいの一番短いものを選ばざるをえないのですが、いつの頃からかそんな短い間にも途中で寝てしまうようになり、本当にマッサージが効いているのかわからなくなりました。


ホテルや旅館ならフロント、温泉宿なら仲居さんに直接頼んで指圧師の方がきてくれるあいだの時間、急いで風呂に入ったり、部屋から出る時間はないのでテレビをつけてみたり、なんとなく落ち着かないものですね。

自分が呼んだ指圧師の方とはいえ、初対面の方への緊張というのもあるかもしれません。
広島で呼んだときは、巨人軍の篠塚コーチがお客さんで監督時代の長嶋茂雄さんを担当していたという方(ホントか?)だったり、阿蘇では予約の時間が遅れて町の指圧師さんが出払っており、やっと来てくれたと思ったら、その昔志村けんがドリフで扮していた老婆なみに耳の遠い方がきて背中をさわさわと撫でていったり。


しかし思いがけず、力加減といい、自分だけが知っているツボへの的確さといい、そのあたりが絶妙な方にお会いするとそれはもう幸せです。

写真は新しく稲佐山にできた高級ホテルの、客室マッサージの案内状です。
プライベートを重んじた客室や品のあるレセプションに置くためのものとして、
マッサージを担当されている「りらく庵」様にデザインを依頼されましたが、

1.マッサージということがすぐにわかって
2.人目を引いて
3.ホテルのイメージを崩さない範囲で
4.ヨーロッパの70~80年代ポップデザインを取り入れた
5.手にとって質感があり、ぞんざいに扱われにくいもの

という条件をいただきました。

実際にはこのように具体的にはいただいていないので、多分にボクの思い込みも入っているでしょうけれど??
ふつう、ホテルの客室にはサービスの説明書のようなファイルが置いてあって、その中の1ページがマッサージ案内になっていますから、それ以外に何がしかの案内を出すことはしません。
それなのにこちらでは、お客様はあくまでホテルでの時間を楽しむ宿泊客であることをきちんと認識していて、そのうえで気分良くもっと楽しんでいただくためのスペックを、なんとか上手に演出できないかと工夫されているのです。


なんだか、こういうまっすぐなサービス精神って、今後のスタンダードになりそうな気がします・・・。

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そういえば以前、今年で35歳になる税理士事務所のMさんと、

「年寄りの友人と遊ぶのは楽しい」という気持ちを共有したことがあります。

 

このときの「年寄り」というのは例えばボクたちの父親の年代を比較的に表現した言葉であって、「友人」というのは親しみと尊敬の念を込めた言葉ということで納得いただければと思いますが。

 

Mさんはもっぱらその「友人」と釣りに行かれるそうですが、ボクの場合はゴルフ。

 

まあ、ゴルフに行かなくても、昼間にお逢いして話をするだけでも楽しいのですが、

決して語ることはしない確かな人生経験をバックに上手な冗談を浴びせられることの楽しさは、

本当に心地いいです。もちろん、現在進行形のビジネスの話も面白いです。ゴルフの話、

仲間の話・・・数少ない言葉でもすべてわかっていてくれるような安心感があるからでしょうか。

 

写真はボクにとってそんな大切な「年寄り友人」のひとりである、T社長の会社案内です。

 

還暦を超えてもなお、義理と人情で動きながら、普段はひょうひょうとしており、

愛嬌のある人気者(失礼?な表現はたぶん読まれないだろから気にしません)。

 

タカラ保温さんは建設業界で専門工事を行っていて、「職人集団」といったほうがいいかもしれません。

 

会社案内制作の発端は、「忙しかね?」「イヤ、全然ですよう~。」といったただの挨拶から。

条件は、「写真なし」「低価格」「恥ずかしくないもの」「好印象」・・・「ま、何でもいいけど」。

 

それは明らかな義理でも人情でもなんでも、せっかくおっしゃってくれたなら、ムダなものは作れません。

なんとか役に立つものを、と考えました。

 

こういった場合必要部数が少ないため低価格を実現するのが難しいのですが、冊子でなく折りにして、

墨一色の刷りにして、デザインで勝負、ということをやってみました。

 

年度ごとに変更の可能性のある会社概要は、透過性のあるトレーシングペーパーにして挿し込み、

その辺の工事屋さんとは違うよ!とちょっとだけ言わせてみたのです。

 

コンセプトは環境を守る会社。

省エネに寄与するサービスは、未来を支えているということで、用紙も再生紙を使っています。

 

またゴルフ行きましょう!今度、名刺も持っていきますね~(読んでないか!?)

 

RAMA9DRUG.JPGシルバーウィークのバンコクにて、なぜか頭の右半分が痛くなり、

持病の偏頭痛かな?と思っていたのだけれど、右耳まで痛くなってきたので、

夜になって現地の病院へ行ってみることに。

 

パスポート片手に、興味半分ということもあってワクワクしながら?タクシーへ乗り込みました。

 

連れて行かれたのは今回のホテルの近くだった「ラマ9世病院」。

 

建物は立派だし、清潔感があって日本特有の病院臭もありません。

夜の9時だというのに案内はすごく丁寧で、看護士さんが体重と血圧を測り、待つこと5分。

 

いよいよ診察室へ通されると、大学生かと思うような若い女医さんから、いきなり笑顔で「こんにちは!」と日本語で言われてビックリ・・・。

 

もちろんその後は英語でしたが、いつもの偏頭痛とは違うし、痛みは転移していくし、病状の説明って難しいものです。

 

それでも、日本語版の医療系資料やジェスチャーも使って丁寧に診察してくれて、帰国して日本の医者にかかったときに渡す英語のメモもつくってくれました。

 

処方箋は筋肉弛緩剤を3種類、抗炎症剤を2種類。

薬名表記も日本語という徹底ぶりです。

 

写真のラマ9世病院オリジナル紙バッグに入れてもらい、診察とあわせてトータル1,000バーツ(約2,700円)という良心価格。

 

なんか、感動しました。病院もサービス業、という感じ。日本の病院にかかって、こんな気持ちになったことがなかったからかもしれません。

 

で、結局なんだったかというと、首の筋を極度に痛めていたらしいのです。

 

そういえば先日、せっかく安いのだからと、プロンポーンで頭からと足からと二人がかりのマッサージを受けました。タイ式マッサージには馴れていましたが、そのときはちょっと痛すぎるなあ...と感じていたことを思い出しました。

 

 

ちなみにミネラルウォーターもラマ9世病院オリジナルラベルです。

日本の病院でも、こんな可愛らしいブランディングをしてみたらどうでしょう。

体調の悪い患者さんが、少しでも心和らぐような病院のサービスって、こんなことでもできるんだな、と思いました。

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先日、個人的に「本」を装丁したいという方がいらっしゃって、"和"の雰囲気がキーワードだったので、なんかないかな?と自宅の本棚をのんびり眺めていました。

 

取り出したのは1958年に発行された「THE FOLK ARTS OF JAPANMUNSTERBERG」という、アメリカ人が作った日本の古民藝本です。

当時東京のアメリカンクラブという団体が監修、デザインからタイポまで米国人デザイナーが作った和本ということで、和風テイストがより象徴的に表現されている予感がしたのです。

 

ページを捲ると、「to soetsu yanagi」とあり、日本民藝美への感謝を我々に教えてくれた、とあります。

 

柳宗悦は民藝に美を発見、美術史ではタブーだったこれらの美的価値を一般に紹介した有名人ですが、プロダクトデザイナー柳宗理のお父さんといえばもっとわかりやすいでしょうか。

ちなみに子どもや甥っ子は園芸家だったり陶芸家だったり、みんなそっち方面でホンモノの、コワい一族です・・・。

 

古くから「アート」と呼ばれる敷居の高いものは、特定の作家の個性的な感性や技術によって形づくられてきました。そこは民衆が立ち入れない(高尚な)別世界であって、その世界が認めたものが初めて、世の中で「素晴らしい」と賞賛を受ける構図になっています。

 

それが最近では、自らの趣向を公に示すことが良しとされる風潮も手伝って、私たちが無名の作家の作品に心を奪われ、多少の金額をいとわずに積極的に購入することは特別なことではなくなりました。

 

道端で売っていた手づくりの焼物のデザインが気に入ってつい買ってしまう、とか、昔から家の片隅にしまってあった照明が意外と格好いいことに気づいて、それにあわせた模様替えのための家具探しをはじめる、とか、ますます個人的なことになっているわけです。

 

つくり手の創意工夫が熱心にこもったプロダクトと、それを自らの感動の対象へと純粋に受け入れる購買人の関係は、楽しいですね。そこにはアートだろうがなんだろうがどうでもいい、感覚としての「美」を簡単に分かち合える空気があります。しかも、それを眺め、手に取るたびに楽しいとなれば言うことはありません。

 

氏も今年で生誕150年。

もし柳宗悦が現代にいたとしたらマスコミに引っ張りダコだろうなあ、と思いながら眺めていましたが、ほとんどの都道府県の民芸品が紹介されているこの本、長崎からは「ゼロ」でした・・・。

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来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の主役が長崎出身の福山雅治に決まってから、長崎ではその経済効果の波に乗れといわんばかりに、自治体でも民間でも、あちこちでいろんな試みが行われ始めています。

 

さてその坂本龍馬ですが、司馬遼太郎を読んだのは遠く学生時代のことでディテールを思い出せず(最近記憶力の低下に拍車が・・・)、龍馬なんだか竜馬なんだかわからないし、仕事柄少しは勉強しないといけないのですが、勉強する前にご依頼をいただいたりして、ちょっと慌ててしまいます。

 

しかもそのリョーマで有名な日本初の貿易商社である「亀山社中」は、ウチの事務所から一本道でたどり着ける、直線距離300mちょいのところ。それでもこの季節は言葉どおり「たどり着く」ように急な階段の続く坂道(龍馬通り)を登らなければならないので、タオルがないと行けません。

 

そんなおり、先輩が亀山社中の脇にカフェ「龍馬茶屋」をオープンするということで、メニューやショップカードを作りました。

 

最近では戦国ギャルとか阿修羅展ギャルとか、若い女の子でもオッサンが舌を巻くほどの時代通がいるので、「龍馬茶屋」も対象はオールマイティに、和風+和風ではなくて少し洗練された雰囲気にしています。

 

写真はカードのほうですが、オモテには坂本家の家紋とリョーマの名言を、なんか現代に合いそう~、ということで挿し込んで、少し目の粗い上品な紙を使って柔らかさをだすようにしました。

 

お店は立地も良いし雰囲気も良く、亀山社中ともども丘の上にあって、寺町通りから歩くと結構しんどくてのども渇きますから、とてもイイ感じゃないかなと思います。長崎の老舗の美味しいコーヒーや復刻したバンザイサイダーも置いてあるし、ジュース類もけっこう選べて美味しいですよ。ビールもあります。

 

来年中は間違いなく営業していますが、もしかしたら、幻のカフェになるかも、・・・です。

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日本全国で発行されているフリーペーパーの数はなんと千種類を超えているらしくて、総発行部数は2億を越えているそうです。

 

先日、「幻の」フリーペーパーといわれた「美少女図鑑」シリーズの長崎版を、手にとって眺める機会がありました。

 

無料のわりには質感的に完成され過ぎていて慣れない感じがありますが(ボクの持つフリーペーパーの概念がついていかない)、コンセプトは面白いなあと思っていたので、興味深く眺めさせていただきました。

 

無料でもらえて、保存可能なキチンとしたつくり。自分や友達かもしれない同じ年代の普通の子がモデルになれる身近さと、高い発行部数による露出への期待や満足感。かんっぜんに対象読者から外れているボクでも、手にする若い女性はさぞ楽しいだろうなと想像がつきます。たしかに、流行る理由が揃っていますよね。

 

ただ、これはボクだけかもしれませんが、あからさまな宣伝広告がほとんど見当たらないのにも関わらず、一見してお金のかかっていることのわかる「無料の媒体」について、瞬間的に遠慮したい衝動に駆られてしまうことがあります。

なぜだろうと考えると、出資しているであろうどこかの企業や業界組織の広告経費が企画自体を起こしてしまったような、情報誌本来の意義とは逆の雰囲気を、無意識のうちに探してしまうからのようです。

 

それはホットペッパー系のわかりやすい営利の仕組みから享受できる明るいサービスとはちょっとちがう感覚といえます。

 

ところで最近は「リトルプレス」と呼ばれるローカルな手づくり雑誌が見直されて、全国の各誌が注目されているそうです。かなり古くから刊行されているものもあったりしているから、人々が社会を形作るための生活にしっかり根付いて、本当に必要とされている内容を提供し続けているということでしょう。

 

もちろんフリーペーパーではないので、こちらはきちんと読者に料金を払ってもらう。企画・編集・制作・営業にかかる経費を、内容の対価として正当に売り上げることができているのです。

大手の有料雑誌が軒並み休刊に追い込まれるなか(STUDIO VOICEも終わりました)、なかなか面白い現象だと思いませんか。

 

長崎人の生活にダイレクトに根ざすような、いきいきとしたリトルプレス、創刊が待たれます・・・

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人々が望む新しい「自由」はいつでも、時間の経過と共にいつしか束縛を生むことになるようです。

なぜなら新しいものは歴史や様式を徐々に排除してゆきますが、実はその瞬間から「モダン」と捉えられた新しい活動の歴史が始まり、やはり同じように朽ちてゆく道を辿り始めるからです。

麹屋町のスタジオPHOTO STYLEによる「写真」を通した創作活動は、写真家松村琢磨氏の常に沸き立つ新たな感情を大切にしながらも、一方では古典といわれる基本的な品質を尊重し続ける姿勢が、その不の連鎖を止めてゆくことを可能にしているように見えます。

今回封筒用にお作りしたロゴデザインは、そんなところを表現したいと考えました。

ベースとして採用した<アヴァンギャルド・ゴシック体>は、20世紀タイポグラフィ界の第一人者であり、自由と個性を何よりも大切にしたハーブ・ルバーリンによって作られたもの。

モダンデザインはバウハウス運動によって世界へと広がりましたが、主流となったその新しい闊達なデザインは逆に隣り合う書体の自由を奪う結果を招きました。

いち早くその事象に気付いて警鐘を鳴らしたのがルバーリンであり、デザインの中に感情や歴史、そして様式の復権を促した彼は、デザイナーにとってのよりよい環境整備のため、誰もが簡単に使える書体を提供し、現在私たちが自由に扱える背景を提供した人物なのです。

60年代後半にそのルバーリンがギンズバーグと手掛けた「Avant Garde」というカッコイイ雑誌があって、今回のロゴはその代表的な書体をアレンジして、古いレコードジャケット風にスクエアの中に収めました。

素材はクラフト系のナチュラルな素材を使って古き良き!的な温かみを、インクは一色にして、お仕事の信念をあらわすようにシンプルなイメージを大切にしました。

松村さんはとても気さくで、作品同様、軽薄に飾ることを嫌う方です。
今回アレンジした特別なタイポグラフィの40年の歴史が、写真を手に取った現代のお客様にどのような印象で伝わるのか、考えると楽しくもあり、緊張もしてくるのです。

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石川遼クンが週末に優勝して、全英オープンの出場権を獲得。

ボクはというと、日曜というのに設計事務所さんのフロアに座り、社長と一緒に打合せもそっちのけでテレビ観戦でした。

録画と知りつつ、チップインのイーグルショットが強引に入ったときには、思わず叫んでしまいました。

ゴルフがメンタルなスポーツだということを改めて書く気はありませんが、若干17歳の少年が・・・信じられません。

一昨年に宮崎のフェニックスGCまで遼クンを観にいったことがあります。

その豪快なスイングもさることながら、ツルツルのほっぺたに「子どもじゃないか」と驚いたものです。

 

ゴルフは運動神経が良いだけでは上手くいきません。小手先の技術ではごまかせないようにできているから相当な練習量が必要だし、個人スポーツとして同伴者とともに隣りで競う、決して驕らない忍耐の精神力が必要になります。

ですからボクは、ゴルフの上手い人のことは、それだけで心から尊敬してしまうわけです。

 

さて、そんなゴルフの上手い先輩が、東亜閣パーキングのエントランスでコーヒースタンドを始められました。

 

これはコーヒー豆パックの印刷用ですが、当初デザインを頼まれたときに、先輩が筆の練習をしていたんです。集中したときには2時間とかいう書道を、ほぼ毎日続けられるわけです。どおりでゴルフが上手くなるわけなんですね。

それでボクは先輩に書かせないともったいない、とすぐに感じて、いろんな書体でいろんなパターンを100枚くらい書いてもらいました。

最初乗り気ではなかった先輩も徐々に力を込め始めて、看板・メニュー・チケットなど、すべてがお店への思い入れに繋がったのでは、と思っています。

夜になると、ラブラドールのじゅうべえと一緒に、美味しいコーヒーを淹れて待ってますよ~!

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