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祖父の家は長崎市の三川町という浦上川の支流にあって、自然に囲まれた田舎だ。

幼い頃は川で泳げたし、蛍だってたくさんいた。

 

祖父は父と共に事業をしていたが、会社が一度目の和議を申請した頃から疎遠になり、同時にガンが祖父の身体を蝕んでいったらしい。

 

中学生のとき祖父は他界してしまったが、遺品として祖母から姉はオメガの金時計を、僕は祖父が戦争で手にしたという勲章をもらった。

今思えば、孫の僕らによくこれらをくれたものだ。

 

正直、勲章をもらってもあまりうれしくなかったのは、「気持ち悪かったから」だ。

 

何度か見せてもらった戦時中の写真は、ただでさえ暗い光景がモノクロなものだから気味が悪く、写真のどこかに死人が倒れているんじゃないかとそればかりが気になって時間が過ぎるのを待つしかなかった。

 

それが、このあいだ百田尚樹「永遠の0(ゼロ)」を読んでから、祖父の勲章を探すことになった。

どうしても確かめたくなったのだ。

それを見れば、祖父が若かった時代を感じられるんじゃないかと考えた。

 

ひとしきり勲章を触ってから、また片付けた。

 

祖父は海軍に従事していたはずだが、それ以外の話は知らない。

祖母との戦時中の恋愛についても知らない。

 

兵として駆り出された人々は、戦争のために生きていた人たちではなく、多くは人生や家族のために生きていた人たちばかりだった。

 

カミカゼアタックや人間魚雷と訊いて、あの頃を狂気の沙汰と感じる今の僕らと同じ心境を、祖父たちも実は感じていたのだと思うと切なすぎる

 

だからあらゆる意味で多種多様な勲章が必要だっただろうし、それらをデザインしていた人もいたのだな、と考えて、ついカメラを手にとったのです。

 

戦争の勲章に意味があることを願って。

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先輩のお嬢さんが頑張っている、長崎市立緑が丘中学校の女子ソフトテニス部の応援幕を作りました。

 

部活動の大会で応援席に掛かる垂幕といえば、「必勝」とか「一球入魂」とか「がんばれ!」とか、ストレートな根性系が多いです。

 

たとえそれが女子ソフトテニスであってもそれはそれでいいのですが、僕の世代からいうと学生女子テニス=エースをねらえ!となってしまうのは当然。

 

エースをねらえ!とくれば、主人公の岡ひろみではなく、お蝶夫人となるのもこれまた当然。

 

とうわけで、イメージは彼女。

 

お蝶夫人は女子高生の設定ですが、すでに女子高生を超越した色香とウィンブルドン級の実力を兼ね備えているため、イメージの採用は女子中生でもなんら問題はありません。乙女は血のにじむような努力の後に、華麗に勝利しなくてはならないのです。

 

この旗のデザインが、義務教育の一環である部活動の応援幕としては「少し遊びすぎではないか?」と思われる日本の保護者の皆さま、お蝶夫人の「珠玉の名セリフ集」を噛みしめれば、この旗が少しだけ好きになるのではないでしょうか(笑)。

 

「頑張れ、緑中女子ソフトテニス部!!」

 

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タクシーを選んで乗るという人は、
親戚や友人が運転手をしていたり、意気投合して懇意になった運転手がいたり、特別な思い出があったり、マイルやポイントが貯まる会社だったり、縁起担ぎで決めている会社があったり。
そんな事情で、このタクシー、この運転手、と決めている場合があるかも知れません。
また、相性の悪い出来事が過去にあって、特定のタクシーを避ける人もいるでしょう。

でもタクシーを選ばないほとんどの人は、
急いでいたり、身体がきつかったり、他の交通機関がなかったり、目的地へのルートを知らなかったり、買い物をしすぎたり、汗をかけない事情があったり、チケットが手元にあったり。
そんな時はすぐに乗っけてくれて素早く快適に移動してくれれば、どのタクシーであろうと構わないのです。

オレンジカラーでお馴染みの「住吉タクシー」さんから、新しい車体のロゴデザインのお話をいただきました。

デザインへの要求事項は大きくふたつ。

①古くからの大切なお客様である高齢者の方々にも読みやすいこと
②女性が気持ちよく利用できる、清潔感と新しさを感じさせるものであること

条件は、劣化交換の多い後部ドアを除いた、前方ドアのみの表現でした。

タクシーを選ばない多くの人にとって、流しのタクシーはくじ引きみたいなものかもしれません。
でもだからこそ、乗るときに少しだけ楽しくなるような、降りるときにほんの少し絵になるようなタクシー。
それから質の高いサービスを感じてもらって、いつかははじめから選んでもらえるきっかけづくりに。

じつを言うと、
「乗った先に、幸せなことの起こるタクシー」だとか、
「大切な人に逢いに行くタクシー」だとか、
そんなことも考えながら作ってみました。

だから個人的には、そうなって欲しいな、と願っています。
多くの映画で重要な役割を果たすように、数え切れない人たちの人生が乗っては降りていく場所ですものね。

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チョコレートの「Kit Kat」が幼い頃から好きで、これまでいくつ食べたかわかりません。

 

「マッキントッシュの、キットカット」という不二家のCMのフレーズを憶えていますが、その後マッキントッシュ社はネスレに吸収されて、ネスレ・キットカットになったわけです。

 

思い出すのは留学していたころ。クラスが終わると、金沢から来た友人とキャンパスのカフェで熱いコーヒーをテイクアウト。隣の売店でキットカットを一枚買って、寒いなか湯気を立てながら、Coming Age PartyのLive打ち合わせをするのが日課に。

ウェハースとチョコが、熱いコーヒーで何ともいえない幸せが口の中にひろがったものです。

 

しかし、永く愛される市販のお菓子って、デザインの変わらないものが多いことに気づきます。

ポテトチップスや板チョコに始まり、せんべいなんかもそう。味や食感を知っている消費者にいつでも安心して手にとってもらえる定番化を果たしているからなのですね。

 

その中でもオールドアメリカンで元気のいいキットカットのデザインがボクは好きで、写真のトラックを本気で欲しい衝動にかられます。ゴルフバッグも検討しましたが、パッケージのあの微妙なレッドではないんですよね。

 

気になってウェブサイトを開いてみると、期待通り楽しく作ってあります。いま流行りのオリジナルキットカットも作成出来るそうで、これだけの定番商品になってもサービスの進化を行っていくブランドは、いいなあと素直に思うのです。

 

「定番化」があらゆるブランドの永遠の目標であることに気づけば、広告活動はいつも信念の伴ったものになるはずなんですけどね。

dogsoffootball.JPGV・ファーレンで取材を終えた写真家の宇都宮徹壱さんを乗せて、柿泊のグランドへ。

 

空は昨日までの悪天候が嘘のように晴れ渡っていましたが、冷たくて強い風が肌を刺してくるので、早々に引きあげました。

 

先に申し上げておきますが、この本は昨年「ミズノスポーツライター賞」を受賞した氏の著書であり、ボクが写真の本の装丁をしたわけではありませんので、今回もデザインのブログではないのです、あしからず。

 

宇都宮さんは、若い頃にボクが憧れた生き方を地で行ってらっしゃるいわばヒーローのような存在。

だって、物書きになりたい、サッカーに携わりたい、いろんな国へ行ってみたい、といったボクの夢をいっぺんに体現されているのですから。しかも懐かしのTV番組「ダイヤモンドサッカー」などの制作を担当された、会社員経験のあるライター兼写真家さんなのです。

 

お逢いした時から「いい人オーラ」がプンプンと漂っており、言葉も丁寧で恐縮しっぱなしでしたが、短いながらも大変楽しい時間をいただきました。

 

リーガやプレミア、セリエなんかの大舞台には誰もが認める夢があるけれど、世界のもっと辺境の国でも、フットボールに対する夢は確かに生きづいています。そしてそれは、長崎に誕生したV・ファーレンでも同じ。

サッカー好きなら、地元チームの試合は観戦しましょうよ!?と怒られましたが・・・。

 

ところで自分の過去の夢のなかに生きている方にお逢いすると、人はいつ夢をあきらめるのか、いつまで夢をあきらめないのか、不思議になります。

生まれたときはみな平等にチャンスがあるけれど、なにかになりたいわけじゃありません。

就職活動にしたって、大手ブランドに対する所属意識についていうつもりはありませんが、財務内容や福利厚生でピックアップしていたあの頃を思い出すと、今なら確実に違う選び方をしていたと思います。

 

ただボクは幸運なことに、今ある現実が悪いものではないと感じています。

 

なんだって仕事はいろんな出会いがあり、楽しい。行きたい場所へ本当に行きたくなったときにはすぐに行ける世の中だし、好きなものを好きだといってかまわない。こうして宇都宮さんのような方にも逢える。

 

そういう意味では、世の中は日に日に良くなっていると思うのです。

BONSAI

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tsubaki.jpg「盆栽=老齢」というイメージはなかなか拭えません。

 

幼い頃観ていたサザエさんでいう波平さんの趣味?だったと思うし、藤子不二雄マンガの主人公が野球ボールを取りに行く先は庭に盆栽のある怒りっぽい爺さん家だったような気もします。

 

しかしそんな先入観のない外国人の方なんかは、そのディテールの美しさに感動されるとか。

 

会社の近くの長崎市民会館に、「盆栽椿愛好会展示会」という大きなハチマキが掛けてあるのは昨日通りすがりに気づいていたんですが、その時まさか自分が入ってみることになるとは想像すらしていませんでした。

 

それがなぜiPhoneで写真までおさめることになったかといえば、ボクが最近Twitterを始めていて、著名なディレクターの原研哉氏が「盆栽」のデザインとしての素晴らしさを熱くつぶやかれるものだから、「あ、このタイミングは一応見ておけと神様が言っているのかな。」と思い、本日撮影の帰りに潜入したのでした。

 

長崎の椿愛好会なる団体なので盆栽は椿に限られていたのですが、なるほど手をかけ暇をかけ完成された風が伺えました。空間に根ざす芸術といえば建築から何から殆どのものがそうなのかもしれませんが、自然の力と共生しているので、やはり華道に通ずるのでしょう。

 

しかし華道と違って長い年月をかけたと思しき作品のなかには破格値で売られているものもあり、おそらくなにか盆栽道(?)でいう致命的な欠陥があるのかもしれないのだけれど、ここまで立派だと「自宅にあっても格好良いのでは」などと考え始める始末。

 

写真は知事さんや市長さんから賞が贈られたもの。

 

見つめていて「このあたりが好きだ」なんて交わしている愛好家の方をみると、なるほどなあ、これは完全なデザインとしてのフォルムの追求と、ペットを可愛がるような生物への純粋な気持ちの融合であるから、とても素晴らしいカテゴリーなんだと認識を改めることになりました。

 

係の爺さんに(ご想像通りスタッフは全員高齢・・)盆栽のことを何かしら訪ねようと思ったら、爺さんの激しい痰吐きが収まらず、待っていてもしょうがない気がしてきたので仕事へ向かいました。

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日頃からお世話になっている車屋さんが時津町で移転独立されました。

写真は商品のなかの一台です。

 

看板を写真におさめているときに撮影を勧められたのが、「ハコスカ」と呼ばれる、ボクと同い年齢らしい日産スカイラインです。

日産プリンスとなって最初のモデルの後期タイプだそうですが、車にはあまり詳しくないのでそれ以上の説明ができません。

 

詳しくないから車が嫌いなのかといわれるとそうではなくて、世の男子レベルには、普通に好きじゃないかなと思っています。

 

ただボクが大学生の頃は、「走り屋」と呼ばれるもちろん「暴走族」とは一線を画す同級生も多く、「バイトして金貯めて車いじって」、ということを女子そっちのけで、至福の表情で平然と行うホントのクルマ好き達を知っているので、ボク程度で「クルマが好き」というのが憚られるだけのことなのですが。

 

ところでこの時期のスカイラインという車はいまだに人気があり高価らしく、移転して間も無く看板も上がっていないのに、どこで聴きつけたか見にこられる方がいるとか。

 

ボクは車に関しても、未来的な流線型より、無骨でイビツな方に愛着が沸きます。

 

つまり、最近の車の中で探すとあきらかに選択肢が少なくなってきているために、10年前と気になる車が同じという寂しいことに。ランチアって実際修理代どれくらい嵩むのかな、とか、ゲレンデはブームが去って前より下がってるのかなあ、とか思うわけです。

 

そんな無骨車ばかり飼うものだから、急な雨に全開の電動サンルーフが閉まらなくなって、そのまま車屋さんに運転して行って廃車宣告を受けたり(SAAB)、ゴルフ場に向かっている途中、リアガラスが経年劣化でガシャーン!と落ちたり(BUICK)、ときにはそんなこともありました。

 

現在は「空飛ぶレンガ」系ですが、もう良い年齢ですから、環境に配慮した「良い」車に乗らないといけないのかもしれないですね・・・。

 

 

THIS IS IT

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昨夜はココウォークのTOHOシネマズでレイトショー。

先週、高校時代からの親友からちょうど観に行こうと決めていた「THIS IS IT」に誘われていて、
20時までに仕事を済ませました。

映画は幻となったロンドン公演のリハを綴ったドキュメントですが、素晴らしかったです。
ちょっとだけでもマイケルを好きな方は、観て心地よい感動をもらえると思います。

彼が天才であり、努力家であり、繊細な心をもった愛すべき男であったことを、
脚色もなくドラマもなく、真実のうちに知ることができます。

 

1970年代から2000年までのポップアイコンであるマイケル、
姉の影響で洋楽ばかり聴いていたボクにとって、やっぱり特別な存在でした。

80年代前半の長崎にはミュージックビデオを観る機会がほとんどなくて、
浜町のDCブランドが入っていたパトリエ21ビルがスポンサードしていた(と記憶?)
深夜番組「プロモーション・パフォーマンス」を楽しみにするしかなく、
あとはWHAM!が出演するSONYのTVCMやトンプソン・ツインズ出演のマクセルのTVCMを待つくらい。

とはいえ「プロモーション・パフォーマンス」という番組は、TOP10形式でPVを流しまくるので、
もう毎週ドキドキしながらテレビにかぶりついていたのです。


ナビゲーターのお姉さんがインゲボルグやピンクハウスなんかのいかにも「着せられた」服を着て、愛想も下手な感じに曲紹介やリクエストはがきの棒読みをしていたことを思い出すと、今でも可笑しくなるのですが。

MTVによる20世紀のミュージックビデオベスト1位に選ばれたマイケルの「スリラー」には、
「こんな格好よさがあるんだ!」と衝撃を受けましたが、
衝撃といえば当時デッド・オア・アライヴの「You Spin Me Round」のPVの方がどちらかといえば強烈?であったため、「スリラー」に対する思い入れがほかのファンに比べて薄いかもしれません。

黒光りしたSM服に眼帯をつけたピート・バーンズというキレたおっさんの、股下に渡した鎖を前後にしごくパフォーマンスから、
そのイモっぽいナビゲーターのお姉さんに映像を戻す「異種感」がなにせ絶妙だったんです。

 

ともあれ、マイケルのアルバムは当然すべて購入しながら生きてきました。
ジャクソン5時代も大好きなので、マライヤがカバーしたときはスゴイ嫌でした・・・。
デッド・オア・アライヴをフロー・ライダーがカバーしたのは嬉しかったですが(しつこい)。

こういうことは結構多くて、自分の音楽趣味的に「え?」という人と繋がってしまっちゃってる大好きなスタアを発見したときの失望感といったら、隠しきれるものではありません。
マイケルで言えば、ヴァン・ヘイレンが「Beat It」に参加したとか、「Black or White」でスラッシュがひいたとか、アッシャーと一緒に歌ったとかは嬉しくても、NBAの選手やナオミとビデオに出たりしないで欲しいなあと。

 

マイケルが死亡した日の朝、彼が心肺停止で病院へ搬送されたニュースが流れましたよね。
遅刻気味のボクは部屋をあさって目ぼしい彼のCDを車に突っ込み、
「Billie Jean」「Man in the Mirror」を聴きながら、おそらく死んだであろうことはわかっていても、変な胸騒ぎを抑えることができませんでした。
東京にいる姉からも、珍しくケータイにメールが入りました。

 

そのとき、世界中のすごい数の人間が今同じ時間にマイケルを想う気持ちでいるんだと感じて、
とても不思議な気持ちになりました。現代にこんな人間がいたんだな、と。

 

ところでボクの誕生日である1971年の10月といえばマイケルのデヴューと重なっていて、
そういったコジツケもやっぱり至極個人的な喜びというものなのだけれど、
ちょっとした喜びなんてのは多いにこしたことはないですよね、人生。 

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茂里町はココウォークのビヤガーデンからみた、銭座地区方面の山肌です。
(ヨーロッパではありません・・・言うまでもなく)

少なく見積もっても山の6割方まで住居が建てられているのがわかります。

山間に港が押し込んだ街なので、必然的にこういった場所まで居住区を拡げていく必要があったのでしょう。


この地形では自転車も使えないため、徒歩で疲れないように小道が縦横無尽に駆け巡り、
そのため建築材料などの重いものは馬で運ぶことになるわけです。

考えてみれば世界中のあらゆる街で、人はその場所にあった生活を創造していて、
人間と環境双方のあながえない絶対的な位置づけがこの一枚の写真から垣間見えてきます。

そうなると、街は環境が与えるオリジナリティを利用し追求することで輝くのであって、
なんでも大都市から移してくればいいという考えが不条理なことにも気づいてしまいます。

歴史ある街が時代とともにオリジナリティを失っていくことは、実は私たちが考えるより大きな問題なのかもしれません。

それはアジアにも必要だし、日本にももちろん必要です。

そして情報の発達した世界経済の端っこに暮らしたつもりでいるボクらは、
長崎のオリジナリティをいま改めて確認することを始めるべきなのかもしれませんね。

 

この日の長崎は精霊流しで、方々でけたたましく爆竹を鳴らしながら国道を精霊船が行列をつくっていました。
屋上でビールを飲んでいても、精霊船の鐘の音と火薬のはじける音は、風情を感じさせるものです。

昨年このブログで精霊流しのことを書いたことを思い出すと、あれからもう一年。
それはそれは適当な内容ではありますが、飽きっぽい性格でも意外と(?)続いているなあ、と驚きます。

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先週末にお邪魔したTAKE OFFさんのパーティは、おおむら夢ファーム「シュシュ」にあるぶどう畑のレストランで行われました。

 

TAKE OFFさんは同名のセレクトショップを県内に4店舗、ほかにUNIONSTORE、QUINCAMPOIX、SEASONやTOLGA cafeを展開されているすごく元気な会社です。


会場には各店のスタッフさんとそのご家族がわいわいと仲良く集まり、とてもアットホームな雰囲気。

"The Mercury Sound" というユニットのライブが始まって、超盛り上がってました。

 

5月生まれの社長さんは、会場にいらっしゃった5月生まれの人をステージにに集めて、みんなでバースデーソングを合唱。

食事も美味しかったし、パーティの規模というか、4坪半のショップからスタートして現在では30人ほどの社員さんをかかえておられるTAKE OFFさん、ファミリー企業としてすごくいい感じの陣容に映りました。


会場に飾られていた、アフリカで見つけたというビーズの人形も可愛らしかったなあ。

スタッフ全員が、自社の商品を真面目に愛する会社。

スタッフが増えても、ああいうふうな会社になるといいな、としみじみ思います。

 

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