茂里町はココウォークのビヤガーデンからみた、銭座地区方面の山肌です。
(ヨーロッパではありません・・・言うまでもなく)
少なく見積もっても山の6割方まで住居が建てられているのがわかります。
山間に港が押し込んだ街なので、必然的にこういった場所まで居住区を拡げていく必要があったのでしょう。
この地形では自転車も使えないため、徒歩で疲れないように小道が縦横無尽に駆け巡り、
そのため建築材料などの重いものは馬で運ぶことになるわけです。
考えてみれば世界中のあらゆる街で、人はその場所にあった生活を創造していて、
人間と環境双方のあながえない絶対的な位置づけがこの一枚の写真から垣間見えてきます。
そうなると、街は環境が与えるオリジナリティを利用し追求することで輝くのであって、
なんでも大都市から移してくればいいという考えが不条理なことにも気づいてしまいます。
歴史ある街が時代とともにオリジナリティを失っていくことは、実は私たちが考えるより大きな問題なのかもしれません。
それはアジアにも必要だし、日本にももちろん必要です。
そして情報の発達した世界経済の端っこに暮らしたつもりでいるボクらは、
長崎のオリジナリティをいま改めて確認することを始めるべきなのかもしれませんね。
この日の長崎は精霊流しで、方々でけたたましく爆竹を鳴らしながら国道を精霊船が行列をつくっていました。
屋上でビールを飲んでいても、精霊船の鐘の音と火薬のはじける音は、風情を感じさせるものです。
昨年このブログで精霊流しのことを書いたことを思い出すと、あれからもう一年。
それはそれは適当な内容ではありますが、飽きっぽい性格でも意外と(?)続いているなあ、と驚きます。