祖父の家は長崎市の三川町という浦上川の支流にあって、自然に囲まれた田舎だ。
幼い頃は川で泳げたし、蛍だってたくさんいた。
祖父は父と共に事業をしていたが、会社が一度目の和議を申請した頃から疎遠になり、同時にガンが祖父の身体を蝕んでいったらしい。
中学生のとき祖父は他界してしまったが、遺品として祖母から姉はオメガの金時計を、僕は祖父が戦争で手にしたという勲章をもらった。
今思えば、孫の僕らによくこれらをくれたものだ。
正直、勲章をもらってもあまりうれしくなかったのは、「気持ち悪かったから」だ。
何度か見せてもらった戦時中の写真は、ただでさえ暗い光景がモノクロなものだから気味が悪く、写真のどこかに死人が倒れているんじゃないかとそればかりが気になって時間が過ぎるのを待つしかなかった。
それが、このあいだ百田尚樹「永遠の0(ゼロ)」を読んでから、祖父の勲章を探すことになった。
どうしても確かめたくなったのだ。
それを見れば、祖父が若かった時代を感じられるんじゃないかと考えた。
ひとしきり勲章を触ってから、また片付けた。
祖父は海軍に従事していたはずだが、それ以外の話は知らない。
祖母との戦時中の恋愛についても知らない。
兵として駆り出された人々は、戦争のために生きていた人たちではなく、多くは人生や家族のために生きていた人たちばかりだった。
カミカゼアタックや人間魚雷と訊いて、あの頃を狂気の沙汰と感じる今の僕らと同じ心境を、祖父たちも実は感じていたのだと思うと切なすぎる。
だからあらゆる意味で多種多様な勲章が必要だっただろうし、それらをデザインしていた人もいたのだな、と考えて、ついカメラを手にとったのです。
戦争の勲章に意味があることを願って。