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今は亡きクエンティン・クリスプが

「真実を話す人はみなおもしろい」

ということをあるデザインの講義で語ったといいます。
これは直感的で実に的を得ているように思います。

人が正直であるように心がけるだけで、皆が興味をもつということです。

ちなみに故クエンティン・クリスプはスティングの「English man in New York」のモデルとして、
そのPVにも主演したことで有名になった作家兼デザイナー兼・・・という、
ゲイであることを公言して波乱万丈の活動を続けた特異な人物です。

ですから、自らの人生から膿のように出た言葉とも言えるかもしれません。

しかし、彼(?)が講義でそう語ったわけは、デザインが多数に働きかけるものであるからです。

たとえばデザインの提供者であるボク自身が正直であり、その発信者であるクライアントが正直であるとき、協働して生まれるものに価値があるのですね。

このようなボクでも、そんな理想は幸いにして抱きながら仕事にあたっているわけですが、
仕事を含めた生活全般、もっと言うなら人生においてそうであることは、なかなかできることではない。

そう考えてみると、正直であることは簡単でいて、非常に難しいことなのです。

ただ、それを実現している数少ない人間や会社などの組織は、すごく魅力的です。
そして結果的には彼らこそが多くの人たちから支持されている気がします。

彼はまた、こんな印象的な言葉も残しています。

「人生とは、墓場へ行く途中で起きた、ある滑稽な出来事だった。」

ほんとうに人生はつかの間。
そのちょっとだけ与えられた時間を正直に生きることの素晴らしさについて、
ときどき気づく必要があるのかもしれません。

出張するときは、乗り物などの座席で皺になりにくいパンツだとか、脚からくる疲れが相手に伝わりにくいシューズだとか、多少なりキレイめに見えるジャケットを羽織ったりします。 

移動のあいだにせっかくのスーツのフォルムが崩れて、シャツがくたびれて、いかにも遠方からやってきたようなイメージを与えるよりは、はじめから少しカジュアルな崩し方をしておいた方がきちんと見える場合もあると思って。

 

自分的にスーツが基本であると考えてはいますが、弊社の仕事であるデザインの分野から派生するビジネス会話をお客様が話しやすいムードは、こちらがスーツでなくても良いような気も、最近はしています。契約時には正装でも、翌日の打ち合わせはデニムだったりという具合に。

ここまでツベコベ書くからには単純にラクしたいんじゃないのかといわれると、正直そうなんですが。

 

大阪出張の朝に履いた「visvim」のデッキシューズの口が、パカッと開きました。まさにパカッって感じで小学生の頃に校庭で起こるような出来事に驚きましたが、ハードユースがたたったのかもしれません。

すぐに「Alden」の革靴に履き替えましたが、ラクチンなvisvimを期待していたボクの足は、いつもより早く痛くなりました。

生来ボクの左足の甲は右足のそれよりも高くて、きっちり作りこまれている革靴はきついのです。理想としてはもちろんオーダーメイド靴なのですが、生活の拠点が長崎である以上、メンテナンスにストレスがあります。

実際、「オーダーメイド」といえば何かにつけ高級な印象がありますが、靴などの革製品については特に、首都圏に住んでいるなどメンテンスができる環境にあれば、良いものが比較的安価に維持できるのになあと残念になります。

 

ところでお邪魔した「レディースクリニック北浜」さまのご担当の方から、お土産に「五感-GOKAN」のケーキをいただきました。お客様から頂き物をするなんて、感激至極です。しかもクリニックへ行く道筋にこのお店はチェック済みで、打ち合わせ後に寄ってみようと思っていたのでそのタイミングに驚きました。

 

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その五感の入っているなんともいえない佇まいのビルは大正11年の建築だそうで、皇居二重橋や奈良ホテルをつくった河合浩蔵さんの設計。古い建物はパティスリーや和菓子屋さんでなくとも、洋服屋さんでもなんでも、テナントの好感度が増しますよね。建物の威を借りる、ウチもいつかそんなことをしてみたいなあと夢見てしまいました。

 

日帰りの強行スケジュールでしたので、そのまま南堀江にあるこれまたお洒落な花屋さんへご挨拶。

 

まあ、なにせ大阪という土地は阪神タイガースとお笑いとたこ焼きみたいなイメージがボクの頭にも根づいていたのに、道は広いわ、緑は多いわ、清潔だわ、お洒落だわ、人は良いわで、暮らしていた東京よりも、ここって素晴らしいところではないのかね?と感じるようになりました。

 

今朝は帰りに新大阪駅で買った「Mannekenのシナモンワッフルを食べて幸せのうちに出社しましたが、スタッフへの土産には「赤福」です。ボクは赤福を食べたことがなくて、こないだの賞味期限事件をTVで観てから食べてみたくてしようがなかったのです。

 

感想は、「見たまんまの味」。それはそれで大事なことですよね。

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仕事の関係で、長崎のキリスト教について勉強しています。

 

日曜日の今日は、ド・ロ神父で有名な外海地区黒崎でお祭りがあっているというので、ちょっとお邪魔してきました。

 

ところで長崎県では25人にひとりがカトリック信徒で、全国の信者数の15%ほどを占めるというから、これはもう「カステラ・ちゃんぽん・カトリック」と言って良いほどの突出した特徴なわけです。

 

それに加えて、大浦天主堂は国宝第一号だし、浦上天主堂には日本で一番偉い人(表現が適切でない場合はご勘弁を)が座る椅子なんぞがございまして、なるほど世界遺産への登録を申請しているだけのことはあるものだと、地元でありながらいまさら感心する始末。

 

写真は1882年にド・ロ神父がポケットマネーで建立した外海で最初の教会堂、「出津教会堂」です。

 

ド・ロ神父という人は、28歳という若さで、この東の果ての島国の、そのまた西の果ての長崎にやってきて、そのまた田舎の外海に移っただけでも 「?」 がつきますが、ポケットマネーでこんな質実剛健な教会堂を私財で、しかも自分で建てるという 「??」 ぶり。

 

しかも大浦天主堂で石版印刷所を開設、学校を創設、パン工場・マカロニ工場・製粉工場・鰯網工場・保育所をつくったばかりか、茶園や防波堤もつくったという天才ぶり。

腸チフスが流行ると薬局をつくり、青年救護隊を編成するという、スーパーマルチ宣教師だったのです。

ふつう何かをつくるというと、出資したとか、編成したとかいう程度ですが、この人は自分で設計・施工するという、どうも信じられないようなすごい技術を28歳という若さでマスターしていたということになります。

 

こんなすごかったフランス人、もっと有名でもいいのになあ・・・。

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